名古屋に来られるって、びっくりだった
スージー甘金 個展 『THIS IS POP NAGOYA』行ってきた
2024年10月13日、名古屋に行くことにした。
この日、ヘタウマの巨匠というかポップアートのパロディ作家を通り越してこっちもアートみたいな位置にいると言うか、マンガも描くよ、っていうかふざけてるっていうか、とにかくそのセンスがすごいスージー甘金氏の個展が栄で開催中で、この日曜日は小田島等氏とのトークショーも予定されていたので、お得じゃね? と豊橋からは名鉄電車の日曜名古屋〜豊橋間の名古屋特割2とかいうきっぷで向かったのだった。
展示を見終えるのに30分くらいで、トークショーは1時間ちょっとくらい時間がかかるだろうけど、合わせて2時間くらいなので、名古屋の他のところに行ったり、栄〜大須あたりで写真を撮り歩いたりして、名古屋行きを満喫した。
もっというと、こういうことでもないと、名古屋に行くことはないだろう、と青春18きっぷの旅で頭が占められている私はこのときは考えていた。
その後、青春18きっぷ改悪で、こんなことでは使えないなあ、ということで、しかし名古屋、三重、岐阜で使えるJRのお得きっぷがあるので、名古屋行きも面白いかも、面白いんだろうなあ、面白いよ、と名古屋について思い直すというか思い込んでみようかなあ、ということになったが、このときは、まあ、久々に名古屋行くか、という気持ちだった。
その頃の名古屋興味と言えば、名古屋のなんだろうこれは? と思えるような名古屋土産のことくらいしかなかったのだ。
何名古屋ふらんせって?
が、この日の名古屋は、沢山写真を撮ったし、トークショーも良かったし、東京だけのように捉えていた方たちが、名古屋まで来られて、生で目にできたことももちろん良かった。
同じ日本を生きているらしい方だったんだなあ、と。
クリマギャラリーがあるビル前の歩道に、こっち、って案内板があって、 場所がわかった。 |
ということで、お昼ごろに名古屋について、14時ころかなあ? 栄のクリマギャラリーに向かった。
確か、スージー氏は14時頃から在廊しているということだったので、ちょっとその姿が見られたらいいかなあ、という気持ちで地下鉄上前津駅から地上に出て向かったのだった。
スマホを最近買い換えたばかりなので、Googleマップで場所を確認して向かうことができた。
それまでの私と言うと、スマホ持ってるんだけど、Googleマップとか開かない、やいやい、これはわからないぞ、ということになったら、誰かに聞いてみる、という方法で目的地にたどり着いていたのである。
しかし、その方法では、名古屋栄あたりでは、「あんりま、クリマ !?」などと驚いて答えられて、道行く人に聞いてもわからなかったんじゃないかと思う。
栄の辺を歩いている人って、多くがそこに住んでたりする人じゃないだろうから、いつまで経ってもクリマギャラリーにつくことはできずに、大須のスガキヤスーちゃんでラーメンなんか食べながら「なんてこったい』と呟いて、更に金山まで歩いて、おー今日は一万歩歩いたぞ、とか勝手に誇らしい顔つきで名鉄電車で帰っていったと思う。
また、ここクリマギャラリーは、そのあたりに住んでいたり、働いていたりする人でもわかるかなあ? というところのような気がする。
が、歩道に『こっち』みたいな看板が出ていて、入っていくことが出たのだった。
クリマギャラリーがあるビル壁面のショーケースに入っていた 個展のポスター。 |
クリマギャラリーの展示場はそこのビルの3階で、エレベーターがあることを知らないで階段を上って行った。
スージー氏はいなくて、トークショーは16時からだったので、またその時間にここに来ようと言うことにした。
後で買うと混んでそうだから、とスージー氏のステッカーを2枚購入した。
その時間まであちこちで写真を撮り歩いて時間を潰した。
まあ、私なんか名古屋のことを悪く言いがちだが、ほかの都市というところもそうなんだけれど、ビルと飲食店くらいだけのところなら、ほんと用事がないといかないのである。
それでも instagram やってるからなあ、とそのネタになるからな、とかなりの枚数をボロいオールドコンデジで撮り歩いて時間を潰した。
カメラ片手に歩くと、名古屋は沢山撮るところがあるなあ、なんて思った。
机の上にはグッズがあって、ステッカーを2枚購入させてもらった。 |
そして再びクリマギャラリー。
時間になるに従って、人の数は増えてきて、ギャラリーの一室がほぼいっぱいになったくらいだった。
小田島等氏とスージー氏、二人のトークショーは、勢いよく2人が控室から出てきて、
さあ、はじまりました、2人のトークショー、みなさんが家に帰ってぐたーっとするまでがスージー甘金個展,THIS IS POP NAGOYA ですから、お家に帰るまで気が抜けませんよ !
などという口上はなく、淡々と、くすくす笑い混じりのなか2人のトークは進んでいった。
いやあ、行ってきましたよ、キース・ヘリング展、キース・ヘリングというだけあって、屁に取り憑かれてましたからね彼は、あのなんか煙みたいな沢山の描き込みはやはり屁でしたね、キース屁リングちゅーて、
などというネタ的なものもなく、やはり淡々と一時間あまりの時は過ぎていったのだった。
スージー氏の喋りは、特に脱線することもなく、無駄なく、進んでいて、東京の人だなあ、と思った。
やはり喋り言葉で、でんがなとかせやろ、だがや、じゃけん、などなまり言葉を入れて喋っていると、無駄のない喋りというのができなくなってくるんじゃないだろか? とか思う。
また、以前競艇場のイベントで見た蛭子さんと喋りはちがうなあ、と思った。
会場でもらった個展のチラシ。 |
ほんと、もっとその昔のへたうまマンガやイラストレーターが出版や広告、その他の媒体などで活躍していた頃のことなどここに書きたかったのだが、書きたいことはいろいろありすぎて、うまくまとめて、ぽんっと出すことができそうにないのでまた書こうかなあ、と思うが、自分の場合、若い頃は、テレビやラジオなどよりも先に、マンガを始めとする出版物などが頭にあった。
まんが、文学、音楽、みたいな。
そこで主流じゃないだろうけれど、そんな頭でいる自分に、外れたところから出てきてこころをがっちりつかんだのがへたうま系のまんがやイラストで、それがこの世界に当たり前にあるものだとなる前に出てきた人たちの衝撃はすごかった。
こういうのが認められる時代になったか、というかこういうのだっていいんだぞ、と世間に主張しているように感じたのだ。
後に、ガロなんか見てると、新しく変わった絵柄や内容のことを個性とするようにして世に出る手段みたいにさえそんなジャンルが思えてきて、なんだか白けてしまって、数年後には、自分としてはそんなに新しい人に注目することはなくなり、こころ動かされることもなくなっちゃたんだけれど、スージ氏やテリー・ジョンソン氏などのセンスには驚かされた。
今というかSNS時代になって、世界にはこういうひともいるのかあ、そりゃあいるだろうなあ、と日本の出版に関係するようなメジャーな人のことは知らなくても、いろいろな美術家やイラストレーター、写真家の作品をSNSで目にしている。
いるもんだよなあ、世界には、なんて思ってそんな作品群を目にしている。
世界的に有名なアーティストもただ好きで作品を作っている人も同じSNSの土俵にあがっているのがいい。
もう、この世界、なんでもありだよな、なんて思う。
少し前に、アマゾンで電子書籍スージー氏の『ワンガンドッグ』を3冊購入した。
そう言えば、自分は若い頃ギャグまんがが好きで、よく読んで笑っていたなあ、なんてことを思い出させてくれる本だった。
あのスージー甘金氏ということで、名古屋にまで行ったんだけれど、行って、そうだなあ、今の自分にはまんがが足りないんだなあ、なんて思うことになっている。
スージー甘金氏の個展に行ってことで、自分の人生を振り返ることにもなった。
なんだかへたうままんがとか見ていた時代のこと、その頃の自分の頭にあったようなこととか思い出して、自分を確認さえするようなことになった。
変な終わり方になっちゃったなあ。
今もスージー甘金氏は活躍しているのだが、確かに、80年代前半頃? やら若かった自分のことを思い起こさせてくれるアーティストなのだ。