ヤフオクで落札したキース・ヘリングのバンダナ(ユニクロ)。 ライバルがいなかったので、安く落とせた。 キース・ヘリングの絵でいいな、と思っているのはほかに、 ユニクロTシャツになったミッキーマウスの絵。 すごいセンスだと思う。 |
人前で描くからと言って、水森亜土さんや看板屋と違うタイプなのだ
キース・ヘリング展後、影響された私
去る12月7日に静岡市美術館に『キース・ヘリング展』に行ってきた。
この間、10月13日に名古屋に『スージー甘金 個展』に行ったときに、名古屋三越で同じく『キース・ヘリング展』をやっていた。
じゃあついでに見てくるかなあ? とも思ったが、静岡でもあるので、静岡にも行ってみるか、ということで観覧に行ったのである。
名古屋三越より静岡のほうがちょっと観覧料金は安いみたいだった。
静岡市美術館で見るから、とネットで券を購入したのだが、もっと早く買えば200円だったかが割引されたのだが、その期日のことを忘れていて、ふつーな料金で購入することになった。
また、この12月7日は、キース・ヘリングについて詳しいと思われる2名の方が解説してくれるみたいなトーク・イベントがあって、応募したのだが、定員を超えて抽選です、ということで、抽選は外れていた。
抽選が外れたこととか、早割のこととかあって、これだっったら名古屋で見ておけばなあ、とか思いつつ、静岡にJRの静岡県を中心としたオトクなきっぷで出かけたのである。
出かけてどうだったかとか、この『キース・ヘリング展』についてはまたブログに書くつもりだが、さーっと見終えてきたのだが、結構良かったのである。
さーっとその場を通り過ぎるように見ただけだったが。
見た後に、美術館の売店でキース・ヘリングのポストカードを2枚買った。
展示されていたが、その当時キース・ヘリングがグッズなど販売する店を出していたときに売っていたラジオというのがあって、ほしいなあ、ということになってネットで検索したのだが、もうてに入りそうになくて、そのことが心に残っていて、なんかキース・ヘリングものがほしい、とか思って、アマゾンで探してみたら、いくつかあって、大々的にキース・ヘリンググッズがほしいのではないなあ、と思い直して、ステッカーが安かったのでそれを注文した。
ステッカーを持ってるラジオに貼れば、キース・ヘリングのラジオっぽくない? とか思ったのである。
また、私がいいなあ、と思ったのは、キース・ヘリングのラジオに使われていた三つ目のものだから、ということがあって、それが気に入ったので、家のプリンターでプリントして、部屋のドアに貼ってみた。
部屋のドアにプリントした三つ目の絵を貼りました。 上のうなぎの絵は自分が描いた画像をプリントしたもの。 ちがうな、キース・ヘリングは。 |
で、キース・ヘリングの絵などの、どこがそんなによかったんだろう?と自分なりに考えたので、そのことをちょっと書いておくことにします。
いい絵でも、その絵がアピールする対象はとても広いんじゃないか? ということ
キース・ヘリングの絵は、しっかりとキャンバスに向かって描かれたものじゃないだろう、っていうことで、そう言えば水森亜土さんも、昔テレビに出てて、その場でなにか口羽知りながら描いてたなあ、ということを思い出した。
ほかに、つい最近 instagram の短い動画で見たのだが、うまい看板屋さんらしき人が店の看板を描いていて、こういう人も、人前で絵なんか描いちゃってうまいのだが、その人はアートかもしれないが、キース・ヘリングのとは結構距離があるんじゃないかと思った。
キース・ヘリングの絵は、言いたいことをシンボル的にギュッとそこにまとめて見せているもののように感じるし、その言いたいことというのは、うーん、それが天才バカボンのバカボンパパの絵でも良かったのかもしれないが、少年マンガ誌で連載されていたこともあって、少年サンデーのための絵だったり、ギャグ漫画ファンのための絵だったり、いい内容のマンガの回があったとしても、その話のための絵なんてことを連想させられてしまうのじゃなかろか?
水森亜土さんの絵というかイラストにしても、そのイラストが好きとか好みとかだったり、そのイラスト世界が好きな人のためのものって気がする。
キースヘリングにしても、その絵が好きな人のためのものなんだろうけれど、その絵から受け取るものの幅が広かったり、キース・ヘリングのキャラクターや思想性なんかも考えてしまって、それがアートと言っていいものかどうか定かではないが、描いたものが抱えているものは幅広く、深いんじゃないかという気がしちゃったのである。
自分としては、そこにまず、アメリカとかアメリカが持ってるわかりやすさの最たるものをセンスよく単純にまとめててすごい、なんて思ったし、アメリカンコミック的な目の描き方があったりで、アメリカのコミック的な表現も感じて、なおさらわかりやすいものとして捉えられたし、アメリカ社会のことなんかも絵から思ってしまうのだった。
また、その時代のアメリカ社会を感じつつも、目にすると、明るい感じの絵で、そこに惹かれるということもあるのだった。
現代美術ということ
キース・ヘリングが活躍した1980年代、私の頭の中には、今みたいになんだかよくわからないときに説明を受けて落語のオチみたいだなあ? なんて思いもする、ほんと、よくわからない現代美術というものまだなくて、モダン・アートとして紹介されるアメリカの作家にしても、面白い表現だ、こういうのは真似できないとか、センスすごい、みたいに感じられる人たちが作るもので、キース・ヘリングも、そのセンスはすごいなあ、って思えるのだった。
そこがよかった。
キースヘリングについて、まだうまく自分の中で消化しきれていないものは多いと思うのだが、美術やら芸術やらのルートを外れrて、一人自分がやることを信じて描いていた、ということは本当のことだろうから、それには胸を打たれた。
ということで、キース・ヘリング展観覧後、私は、アマゾンでキース・ヘリングのステッカーを買い、部屋にプリントした絵を貼り、ヤフオクでバンダナを落札したのである。
影響されたなあ。
キース・ヘリングはすごいやつだ。