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2018年3月10日土曜日

明日はライブ、『たとえばぼくが死んだら』森田童子カバーを録ってみた

『たとえばぼくが死んだら』森田童子カバーを録ってみた
3/11 豊橋 AVANTI 東北大震災チャリティーライブ

明日 3/11は豊橋 AVANTI 東北大震災チャリティーライブ。

昨晩その豊橋 AVANTI で、参加型フリーライブがあるので行きたかったのだが、時間的なことと、超強風のため、家で練習していたほうがいい、という選択になった。

マイクを使って練習して、録音もしてみよう、ということになった。

それで録った音源がこちら。

ご興味よろしければご覧ください。







音声だけマイクをローランドの MOBILE CUBE モバイルキューブに差して録った。録音しているのは、動画を撮るデジカメで、だからといってよくないかといえば、音質的に悪くても、声とギターのバランスがよければいいだろう、という感じで録ってみた。

感想としては、自分の演奏能力をもっと磨こう、ということになった。

ライブは、もう、明日なので、突然ステップ・アップすることはない。

こういうのは、ホント、日々の積み重ねしかない。

森田童子さんの『たとえばぼくが死んだら』について記しておくと、はじめて聞いたときからいい曲だと思った。

森田童子さんのファンだったのか、と言うとそれほどのことはなかった。

TVドラマ『高校教師』で使われた曲からくる森田童子さんの印象が強力で、他の人がカバーしても、本人のイメージに負けてしまうだろう、と思っていた。

この曲は、YouTube で見つけて、いいなあ、ちょっと弾いてみるか、とギターを手に取ったところ、すんなり歌えたこともあって、これまでに人前でも数回歌っている。

歌っていて気づいたのは、簡単なコードの曲で、森田童子さんでなく、どこかで聞いていたうたと似ている、ということだった。

Alex Chilton が歌う The Seeds という60年代のアメリカのロックバンドの『 Can't seem to make you maine 』という曲とサビ以外同じなのではないかと思う。

森田童子さんとThe Seeds 2つの曲のイメージと自分の歌いやすさで演っている。

もっともっと練習しないと、という気持ちとともに。


明日のライブでこの曲をやるかどうかは、まだ決めていない。




2018年3月9日金曜日

春うらら、浜名湖西岸を自転車ポタリング

懐かしいよな、ほっとするよな、近いよな
浜名湖西岸の景色

3/4は春うららというか、小春日和とも言ってよかったんだろうか、ひさびさ暖房がいらない日で、午後、自転車で浜名湖西岸から、新所原というJR の駅方面にむかってすいすいと走った。

この、すいすいがなぜすいすいかと言うと、安かったにしろ、クロスバイクというよく走る自転車だからである。

どう、すいすい走るのか?  は流して先に進むことにする。

すいすいと。

クルマで目的地に向かって行くなら、こっちに特に用事がなければ入らないよなあ、という道に、自転車なら気安く入っていくことができる。

浜名湖を北に、東に、見てすいすい。西にも目をやると、なかなか広く畑が続いていたりする。

春だから、と早咲きの桜などを見つけたくて走っていたのだが、これまであまり目をやってこなかった畑なんかの感じもいいなあ、って思えた。

土の感じ。

広く、土が目に入ることって、そんなにあるものじゃなかった。

私の家は、代々農業とは無縁だったらしいし、畑も田んぼも知らずに私は育った。

それでも土の感じが懐かしかった。

通ってきた民家が続く通りは、多分、昭和の時代から特に変わってはいないように思えた。

コンビニも、ちょっとしたスーパーマーケットもない。

やっているかやっていないのかわからないようなタバコ屋のような店、パンなんか売っているような店を目にしただけだった。

浜名湖沿いには船着き場があり、浜名湖から伸びるような入江、川と言って良いような水場では、鴨などが居るのが見えた。

人の声がするのは、家の中からだった。

川沿いの小道をジョギングしている人と出会った。

歩いている人もいた。

しかし、人よりも、つづく畑のほうが遥かに広くて、ひとのことなんか忘れてしまいそうなところだった。

自転車で行く私は、先を急ぐこともなく、すいすいと。

とんでもなく遠くまで来てしまったわけでもないのに、なんだかほっとした感じでいられたのは、土を感じたりしていたからだろうか? 

記憶の中で、ほとんど変わらない風景の中だった。



Nikon coolpix s32




2018年3月8日木曜日

人じゃないものは悩む、人だって悩むんだけれど (鉄腕アトムなどとピノキオの私の中の共通点)


黒髪、黒スーツが天馬博士で左白髪、白スーツがお茶の水博士。

つくった命のストーリー
『ピノッキオ』を思い出す


浜松科学館『鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展』で撮ってきた写真はまだあるので、もう一回関連したことを書こうと思う。

正直に言うと、私は鉄腕アトムのことをそれほど知らない。

有名なマンガなので、見ようと思えば、本屋などで買ってみることができたはずだが、ものごころついた時はすでに、赤塚不二夫さんのギャグマンガからはじまって、少年ジャンプの連載漫画や有名というか名作になってしまったマンガなんかをよく見るようになっていた。

しかし、昭和の少年向けヒーローというか、SFヒーローというかのことはちらちらとTV で見て知っていて、今回浜松科学館で鉄腕アトムに触れる機会があって、鉄腕アトムについて考えていて、そういえば少し前に、BOOK OFF で『ピノッキオの冒険』を買ってきてもいて、『ピノッキオの冒険』と鉄腕アトムや昭和のSF的なヒーローが、自分のなかでつながった感があった。

ピノッキオは、ジェペットじいさんがつくった木の人形だった。

鉄腕アトムは天馬博士がつくったロボットだ。

ほか、仮面ライダーもは改造人間で、つくられたものだし、SF ヒーローで、博士が作った、とかいうのはほかにもあったと思う。

それにまた、妖怪人間とか悪魔とかなのだが、人間になりたいとかいう設定のストリーもあったっと思う。

妖怪人間と悪魔はとりあえず置いておいて、つくられたものの成り行きを見守ろうとする側と、自分自身のことについて、つくられた側として、なやんだりすることが、人にもあてはまって、共感を得ていたとおもう。

妖怪人間も悪魔も、人と言うもののイメージと照らし合わせて悩んだりするのだが、それも、ロボットヒーローなどが自身のあり方と悩むのと同じタイプのものとして、私の中にある。

そしてそれらのストーリーのおもしろさは、『ピノキオの大冒険』の感じとにたところがあるんじゃないか、と私は思うのだが、いかがでしょうか ?






浜松科学館『鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展』は2018年 3/31まで。無料です。


2018年3月7日水曜日

昭和の時代のSF的想像力は、実際大きく膨らんでいたと思う

科学で夢見る
現実が想像を超えていく


写真は、このブログでも紹介した、2018年3月いっぱいまで浜松科学館で展示公開されている『鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展』で、横たわっているアトムの近くにあった、アトムを説明するパネルの写真。

内部がすごい。

アトムってすごい、と思ってしまう。

昭和のロボットものだとかの内部はすごいことになっていた。

そのすごさ、どれだけ内部のメカニックを描き込めるかが、こういう場合の作り手側の腕の見せ所だったと思う。

内部メカの描き込みがすごければすごいほど、そのロボなどの価値もあがっていたと思う。

また、ロボットだけでなく、科学施設や宇宙船内の装置などもすごそうに描き込んであればリアリティを感じられた。

また、ごちゃごちゃしていればいいということでもなく、そこのところの描き込み方などで、見る側は、作り手の科学的な物の見方や作品のリアリティを判断したりしていたと思う。

『スターウオーズ』だってそう見ていた。

が、である。

よくわからないけどいろいろついててすごそう、というそのすごさを、現実は超えてしまってはいないだろうか?

昭和の時代、コンピューターはとても大きな装置だった。

電子計算機も、登場した当初は、バカでかかったと記憶している。

なので、見た目すごそうに細かく描いておくと、すごいマシーンだSFだ、などと思えたのだが、ガラケーにしろスマホにしろ、こんなにちっちゃくていろいろな機能がついているものが普及までしていることを、一般の人達は想像できただろうか? 

今現在のイメージでは、鉄腕アトムの内部は、もっとスマートになっている気がする。

でも、その当時はすごかったんだと思うし、スマホなんて見たこともなかった頃は、すごい機械は、すごい見た目が当然で、そこに科学の進歩を夢見ることがあったんだとも思う。


浜松科学館
『鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展』からの写真。


2018年3月6日火曜日

その OLYMPUS PEN EE-2 は、私の場合の名作が撮れるカメラだった


私の場合の名作が撮れるカメラ
その OLYMPUS PEN EE- 2

前回までの猫写真記事に関して、その時撮った写真をネガからパソコンに取り込んで使おうと思い立って、押し入れのなかなど捜索した。

その時の猫写真のネガにたどり着くまで、かなりの手間がかかったが、そこにたどり着くまでに、撮っていた写真のことなど思い出して、そうかそうかそうだそうだそうだったなあ、とそのときのことを思い出したりして、写真を撮っていてよかったなあ、なんて思いもした。

上の猫写真は、OLYMPUS PEN EE-2 というハーフサイズのフイルムカメラで撮った。

自分ではいい写真だと思っている。

そのカメラと出会う前、10日ほど、入院していた。

まさか自分の体がこんなことになるなんて、という思いで、病院のベッドの上で、このまま死んでしまったらどうしよう?  オレは今までなにをやってきたんだろう? などと思って過ごしていた。

が、ショックは大きくても、それほどのことはなかったみたいで、もう少し入院しててくださいみたいな感じで医者に言われたのだが、出ることにしたくらいだった。

退院してみると、それまでなかったところにリサイクルの店がオープンしていた。

カメラをオープン価格の激安で売っていたので、そのOLYMPUS PEN EE-2 というカメラを買った。

すでに、デジタルカメラが登場していたことと、店のオープン、かなりのオンボロ感をそのカメラはたたえていて、値段は70数円だったと記憶している。

カメラを買った。

写真で自分がこの世界でなにを見ていたか残そう、と思った

そのカメラで撮った一本目のフイルムから花の写真をコンテストに応募したら入選して、賞金ももらえた。

それまで、カメラに凝ったことはなかったが、絵など描いてることはあったし、バカチョンと呼ばれる方式のカメラなので、驚くことはなかった。

当然でもなかったが。

また、自分でカメラを買ったのは、その時がはじめてだった。

カメラを趣味にしている人って、やたらお金をかけているような印象があったせいもあるだろう。

そのカメラは、いいカメラだとして持ち歩き、あちこち撮りに行ったのだが、長くは使えなかった。

露出をセレン光電池というレンズがはまっている回りのブツブツのところの電池で測定して決めている、という仕組みになっているようで、その電池の寿命とともに、カメラの寿命も終わってしまった。

それも電池と関係したのか、暗ぼったく写る時ときれいに写る時があって、きれいに写るときの画質の感じが好きで、自分の中では、名作が撮れるカメラ、ということになっていた。

今では、OLYMPUS PEN のハーフサイズ・シリーズのフィルムカメラを3台持っていて、一台はまだ使ったことがないので2台での感じを言うと、その名作が撮れるものと比較すると、あとの台もいいカメラで好きなのだが、まあ、フツーだろう、という感想である。

どういう訳か、その70数円のカメラは、ときにズバ抜けて撮れる感があって、そのカメラと出会ったおかげで写真を撮ることが好きになったと言えるくらいだ。

もしかしたら、それまで使っていたそのカメラの持ち主がよほどの写真好きだったのかなあ?  と考えることがあったが、そのカメラがどうしてすごいのかはわからない。


長くなるので書かないが、ギターと言う楽器もそんな感じがある。


マジックがおこる。


猫写真のネガを探していて、このブログに使えそうな写真、以前に撮った写真もあるだろう、と思えた。

カメラの話とともに、このブログで、フィルムカメラで撮った写真も紹介していきたい。

パソコンに取り込むためのスキャナーを持っている。



今でもフィルムカメラで撮った写真のほうがデジタルカメラのよりも好きである。

これも OLYMPUS PEN EE-2のネガからパソコンに取り込んだ画像。

2018年3月5日月曜日

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著 BOOK OFF で購入 その4 猫から考えることは多いかも

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
その4
BOOK OFF で購入 

岩合さんの本でなく、自分が猫写真を撮りに行っていた公園のことなどばかり書いてしまった。

自分の猫写真のことなどはまた機会をつくって書きたい。

しかし、そんなことなどあって、浜松遠鉄百貨店で見た岩合さんの展示の最後の方では、その公園でのことなど思い出されて、熱いものがこみ上げてきた。

この本も、『ネコを撮る』岩合光昭、という本なのだが、猫を撮ることは、ただ、いい写真が撮れた、よかったよかった、ということだけでは済まないんじゃないだろうか、と思う。

岩合さんもこの本のあとがきで、捨てられたネコのことを書いている。

猫の写真の人気が続いているように思う。

Twitter などで、私はよく猫写真を目にする。

自分としても、こんなに猫が好きになる自分は想像がつかなかった。

かと言って、猫を飼ったこともないんだけれど。

猫の写真人気や猫写真の需要があるみたいなので、猫の写真を撮る、でもいいんだろうけれど、猫とか関わっていると、猫から色々考えることも多くなってくる。

いなかっぺ大将のニャンコ先生を始め、猫を先生と見る人も多いのは、猫から考えることをいろいろ与えられるからじゃないだろうか ?

この本からも、写真を撮る、猫を撮る、技術的な情報だけでなく、ネコ写真を撮るにあたって頭においておきたいことが、読んでいると広がってきそうだ。

世間的には、岩合さんは、ネコを撮っているひと、ということで知られているのかもしれないが、動物写真を撮って来た方だと私は認識している。

猫と言えども、岩合さんの写真では、アフリカのワイルドライフで暮らす動物とつながっているように感じる。

写真の本であることは間違いないが、そこから広がったものを感じるいい本だと思う。

もちろん写真にも惹かれてしまう。



私の猫写真、猫のことは、また書きたいです。


写真を撮りに行った公園で出会った猫。
猫のことが頭にあると、猫に出会うみたいだった。
FIlm camera / golden half


2018年3月3日土曜日

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著 BOOK OFF で購入 その3 捨て猫の公園から離れて

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
その3
BOOK OFF で購入 



もうその公園に行くことはなかった。

捨てられた猫のことを思うとやりきれなかった。

これはもう何年も前の話だから、地域の人やら役所やらNPO法人なんかが乗り出してきて、いい形にしようとした可能性はあると思う。

そうであってほしい。

ラジオだったかで聞いた情報では、そういう公園などに捨て猫の写真を撮りに来てはいけない、とは言わないものの、捨て猫に餌を与えることもよくないらしかった。

そこの公園に猫の写真を撮りにいくのも、捨て猫の存在を無責任に肯定しているように撮られやしないだろうか? と私は考えた。


餌を与えると、そこで餌を貰えることを学んで猫はいつくようになるらしい。

猫島みたいなところもあるが、そこでは人と猫のいい関係が出来ているんだと思う。


が、そこの公園では、すぐそばに人が住んでいなかったリ、猫をなんとかしようとして、ルールなりを決めて守ろうとする動きもその時は表立ってなかったように思う。

ベンチにダンボールで、『猫に餌をやらないでください』なんて書かれたものがビニールテープで貼り付けた物を目にしたことがあるくらいだった。


地域猫という選択を取った地域があることもラジオで確か聞いて、知った。


去勢などして増えないようにして、病気のケアをしてあげて、餌も与えて、地域の人が面倒をみる,というやり方だ。そのお金はその地域の人が負担する。

エリア的な猫カフェみたいな感じかも、と思うが、そこで猫と接する人に共通の理解やルールが必要になる。

それで猫も人も安心して生きていける、ということだろうか。




そんな情報を得て、その公園の猫のことを思いつつも、他で写真を撮っているときに猫と出会うことがあった。

私もひとりでコソコソ動いたり、ボーッとしたりしていることがそんな場所ではいつもなのでか、猫と出会うことがあった。

写真に撮ることもあったが、まあ、寄ってくるので、こっちとしても挨拶くらいはするのだった。

それでも、またそこに行って、その猫と仲良くなって、ということはなかった。

猫を撮るなら、猫を飼っている知り合いのところで撮らせてもらうのがいいな、とか思っていた。

そんな知り合いはいなかったのだが。


その公園で撮った猫の写真。
プリント。


猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
BOOK OFF で購入 その4につづく


2018年3月2日金曜日

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著 BOOK OFF で購入 その2、捨て猫たちの公園

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
 その2
BOOK OFF で購入 


地域の人

公園を管理する人、

公園を利用する人、

猫に餌をやりに来る人、

多分、定期的に猫に餌をやりに来る人、

猫を捨てに来る人、

猫を虐待しに来る人、

そして、そこで生きている猫。


そこの公園は、すぐ近くが海で、川と海が交わって、そのあたりから水面が広がっていこうとしているところだった。

近くには、小さな船が並ぶ船着き場がいくつかあった。

公園は海まで続く土地に生えた林と隣接していた。

鳥も虫もいるだろう自然が近くにあったし、なにが釣れるのかわからないが、そのあたりには釣り竿を持った人たちの姿もあった。

憩いの場としてよく出来たところだった。

ひとつ違うのは、捨てられた猫たちが、公園のある一角を中心に、自分たちの生活圏であることをアピールしているかのように、そこにたむろしてたりすることだった。

顔つきから、そこで長く生きていくのは、ハードなこともあるのにゃあ、ということが伝わってくる猫が多かった。

何度か足を運んでいると、まだ捨てられてそんなに経ってないんだろうなあ、という猫だとか、わかるようになってくる。



そこの猫、いや、他でも出会う捨てられた猫が悲しく思えるのは、捨てられる前は、飼い主に、あるアプローチをすると、撫でられたりしていたのか、そういうことを繰り返ししてくる猫や、いじめられたのだろう、近寄りたいのに、なかなか近寄って来ず、少し離れたところからずっとこっちを弱々しい感じでみつめている猫とか、もう捨てられているのに、人とのいい記憶を持っていることとかがわかるときだった。


その頃の自分のことと合わせてそんな猫達を見て、かわいそうになっていただけなのかもしれないが。


いっそのこと、オレはもう人と関わらずに、雀や小魚をつかまえて、たくましく生きていくのにゃあ、という猫に変わってくれたらいいのに、気づけば、猫はそういう生き物じゃないみたいだった。


その猫達に餌をやりに来る人も、まあ、公園に遊びに来たついでに、食べ物をあげようとする親子連れなども見かけたが、年配の痩せた男性が、古い自転車を引いて、荷台の後ろにくくりつけてきたダンボール箱を取って、何か猫達に餌として置いていくという、そんな感じのひとがいた。

それも、ボランテイア精神の表れなんだろうけれど、猫はその人の仲間であり友達の感じじゃあなかったろうか。



猫も、皆が皆、捨てられたとは言え、健康的な様子だったかといえば、そうでもなく、そんな猫達が集まってゴロゴロしたり、ベンチで寝そべってたり、木に登ってあたりににらみをきかせているような光景を見ると、これはよくないんじゃないだろうか、ということになりそうに思えた。


一般的な問題としてある、野良猫、野良犬の問題をラジオか何かで耳にしたりして、そこで、猫の写真を撮りに行く人がいることだって、ーーーー猫目当てで集まってくる人がいるのもそこの公園を利用する人からしたら困った問題に違いない、ということになるだろう、と思えた。


そこの猫に餌を持っていくようなことはしなかったが、とにかく、私がしていることも、そこの公園にとっていいことじゃないのは間違いないだろう、と考えて、そこの公園に行くことはやめることにした。


やめてからだったが、ネットでたまたま目にしたそこの公園の評判は、猫のお陰でわるい感じで有名なようで、猫に対してひどいことをする者の事も書きこまれていた。


その頃撮ったそこの公園の猫の写真プリント。

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
BOOK OFF で購入 その3につづく


2018年3月1日木曜日

『ネコを撮る』岩合光昭著、BOOK OFF で購入と猫写真と私などその1

猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
BOOK OFF で購入 その1


先週 BOOK OFF で購入した。

安い新書版サイズ本のコーナーがここにあったのか、と見つけていたのでまた寄って購入した本。

『ネコを撮る』岩合光昭著。

もう3年くらい前になるのかなあ、写真のポストカードは、浜松遠鉄百貨店で岩合さんのネコ写真の展示があって見に行って購入したポストカード。

背景の桜と木にしがみつこうとしているのか、寄りかかろうとしているのか、なネコの顔がいいポストカードである。

そのとき BOOK OFF で購入しようかなあ、と入っていったのは、同じく新書版コーナーにあった蛭子能収さんの本が気になっていたからだった。

前回もその本を買おうか買わまいかと考えて、やめたのだが、気になっていた。

なぜ、すっと買えなかったのかというと、どうも、蛭子さん自身が文を書いているのではないように感じたからだった。それでも、蛭子さんっぽさは感じられる本で、まだ気になっていた。

前回は、その本が気になりつつ、村上春樹訳『グレートギャッツビー』なんか買っちゃったのである。

で、今回見たら、なかった。

売り切れてしまったのだ。

それで、ほかに、と目を上に下に、横に、斜めにしていて見つけたのがこの本だった。

私はある時期写真を撮りまくっていたことがある。

街を撮り、風景を撮り、人を撮り、物を撮り、雲を撮り、海を撮り、机の上を撮り、と自分の中の自分の写真というものをわかろうとしていた。

そして、猫も撮りに行っていたのである。

私の場合、写真のテーマがあるとすれば、私の中の写真というものが撮れればよくて、例えば、アリばかり撮って、アリ大好きなんです、いやーアリに惹かれちゃって、アリっていいなあ、あはははは、などということはまったくなかった。

写真を撮っていると、写真を撮る人が寄ってきたりするものだが、カメラ機材のこととかやたら詳しかったり、そんなことばかり話して、どーだいワタシはこんなにカメラのことに詳しくて、通でしょ、肩書写真家の名刺欲しい? どう? とうこともなかった。

そりゃあ、好きなものを撮りたいし、必要ならカメラの知識もあったほうがいい。

なぜ、ネコを撮りに行っていたかというと、今もそうだが、猫がいる公園とかあるのである。

ネコは、写真の中で、ドラマを作ってくれる。

絵になる。

いいね、猫ちゃん !

という感じだったのだが、よくそこに足を運んでいると、猫に餌を与えに来る人のこととか、会いに行くと、どうもこの前より耳やらしっぽが短くなっている猫などもいて、猫同士の喧嘩だろうと思うが、ここに捨てられた猫も生きていくのが大変なんだろなあ、と思うことや、捨てられた猫は、人に会うと、多分捨てられる前にそう動機つけられて、可愛がられようとする動作を繰り返す猫などいて、そりゃあまあ、かわいそう、という言葉でくくれるんだろうけれど、かわいそうの周辺に深いものを感じて、餌をやりに来る人も、なんだかひとりぼっちな人が多いみたいで、そんなことも見えてきて、また、そんな猫がいる公園はそこだけじゃないらしいし、そのことで困っている地域の人のことや、餌を与える人がいることで、猫を捨てる人もあとを絶たないことだとか耳に入ってきて、そこの公園に猫の写真を撮りに行くことはやめることにしてしまった。





猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
BOOK OFF で購入 その2につづく



2018年2月27日火曜日

浜名湖西岸を自転車ポタリング、春に出会いに

浜名湖西岸のローカルな小道で春に会った
湖西市新所・東岡天満宮

2/24土曜の午後、自転車で出た。

浜名湖西岸のローカルな道を行けば、春らしい花など目にすることができるだろう、と思った。

その日の午後は、家にいて、気温などからして春だなあ、なんて感じていたので、どうなのか? と春を確かめに行きたくなっていた。

すでに梅なんか咲いちゃって、この時期梅で賑わう施設情報なんかすでに見たり聞いたりしていた。

そういうところに出かけるのが手堅いのだろうが、ささやかに、あ、こんなところで春、なんて気づきもしたかったのである。

自転車で好きな道を好きなペースで行くのも当然この日の気分似合って、お気楽だった。



しかし、JR 鷲津駅の北の浜名湖沿岸部近くで鴨なんか見てたりしたら、まだまだ冷たい。
冷えた風がピューピュー吹くのだった。

厚着してきてよかった。

ローカルな小道に行こう、と地名で言うと『新所』というところになるらしい、ずーっと長いこと変わらない、地元の方たちの生活圏だろう、という感じのところに向かって行った。

浜名湖周辺の景色のいい所は、ほとんど浜松市に所属した場所にあるように思われるが、湖西市側は、まあ、クルマでだと入りにくいかもしれないが、自転車なら、みたいな感じで入って行って、そのスピードでなら、そのローカルっぽさを感じられるところが残っている。

右手に浜名湖を時折広く視界に入れながら行くと、梅だろうか? きれいに咲いている事がわかるところがあった。

東岡天満宮、という文字が刻まれた案内石みたいなものが立っていて、自転車を駐めて、家なら2階に上がるくらいのくねっとしたコンクリートの階段を登って、何本か咲いている、早咲きの桜だろうか? や梅などを見た。

浜名湖も、そんな木々とかぶって見ることができた。

もうなんどかそのローカルな小道を自転車で走ったことはあるのだが、東岡天満宮というところで止まって、そこの階段を上がる、なんてことをしたのははじめてのことだった。

春の花や木々がなかったら、通り過ぎて行くのが自然なところだろう。



そこからさらに進んで、別の道にも出たりして、小山とまでいかないところの斜面に咲いている花なんか見て、写真や動画に撮ったりした。

自分が知っているそのあたりの景色が大きく変わるほどの春の花の多さはなかったが、そんなものに目を止める自分も珍しいな、なんて思った。




Nokon coolpix s32
東岡天満宮で


2018年2月26日月曜日

浜松『出世の館』閉館と次の展開

NHK 大河ドラマ『おんな城主 直虎』終了後のこの場所は
浜松『出世の館』閉館

2/18 に撮った写真。

この場所は、JR浜松駅を出て、有楽街にしろ、ZAZA CITY 方面に行くにしろ、前を通る場合が多い。

そこに、日曜日には、家康くんや直虎ちゃんが立っていて、写真を撮れたりしたので、この場所がどんなところか、よく分かるようになっていた。

また、浜松駅の改札前にもNHK 大河ドラマ『おんな城主 直虎』に関連した浜松地域のアピールや紹介などするブースもできていたし、駅だけでなく、浜松市だけでなく、その大河ドラマのポスターやらなにやら目につくところに貼られていたりして、意識せざるを得なかったし、地元と関係することなら、とか思ってドラマも見ちゃったりすることになっていた。

浜松出世の館は、ドラマの案内もあったし、それに関連したグッズなどが販売されていた。

入ってみると、他の人達が関西弁だったりしたことがあって、その人達がなぜ浜松に来たのかわからないが、NHK 大河ドラマを関心ごととしていた人たちは、他の地域の人達の中にも多くいたみたいだと思えた。

1月に閉まったんじゃなかったか、と記憶している。

この先ここは、マリンレジャーに関係したことを紹介するような場所になる、と新聞でみた。

海も川もある。

サーフィンもできる、釣りもできる。

見方によれば、毎日がパラダイスなところなんだろうか?

この先のことは、ちょっとわからないが、一年間、なかなか盛大に浜松とNHK 大河ドラマと結びつけてアピールしてきただけに、それがなくなったのは、さすがに寂しい感じがある。







2018年2月24日土曜日

2018 3/11 豊橋 AVANTI で東日本大震災チャリティーライブ



2018 3/11 東日本大震災チャリティーライブの詳細
愛知県 豊橋 AVANTI 













2月、豊橋 AVANTI 月一開催の『参加型フリーステージ』に行ったときに、3/11 『東日本大震災チャリティーライブ』の案内ができていた。

そろそろと近づいてきたので、このブログでもお知らせしておきます。

『崖から飛び降りる』が私の音楽活動名。

3番目ですね。

毎日ちょこちょこと声出しをしています。

いいライブができるよう、準備しています。

詳細は、こちらの写真にあるとおりです。

昨年もこのライブに出させていただいたのですが、微力でも、東日本大震災の何かの力になれることは、自分としてもありがたいことだと思っています。








ライブハウス 豊橋 AVANTI HP はこちら : https://www.avanti-music.com/































2018年2月23日金曜日

名古屋矢場とん、キャラの名前は『ぶーちゃん』らしい

名古屋矢場とん、『お年玉付き ぶーちゃん』。
2018  1/2 名古屋行きで見かけた


今年1/2名古屋行きで、栄から上前津まで歩いて移動中、矢場とん前を通った。

この写真のぶーちゃんだろうと思われる着ぐるみがいて、その写真も紹介したのだが、撮ってきた写真を見ると、この写真もあった。

せっかくなので、紹介しておきたい。

『お年玉付きぶーちゃん』ってなっているので、お食事券かなにかそれらしきものがこのキャラグッズに入っていたんだと思う。

名古屋栄なんかに行くと、大須や金山にも行ったりで、矢場とんの前を通ることがある。

それは日曜日だったりするので、店から伸びる行列をよく見かける。

名古屋の観光資源化している店なんじゃないかと思う。

ほか、手羽先の『世界の山ちゃん』も名古屋の有名な店として、気になっている。

どちらのお店にも、機会があったら入ってみたい。



Nikon coolpix s32 



強力だ、恋のドキドキと私が感じていた過ぎてしまった高度経済成長期下の恋愛至上主義に関して

強力な恋のドキドキと高度経済成長下の社会
恋の町、恋愛至上主義がはびこって感じられていた時代のこととか


前回このブログで、『恋の街』という言葉を使った。

頭のなかで、たしかそんなタイトルの歌があったなあ、ということに思い当たったのでググッてみた。

『恋の町札幌』、浜口庫之助さんの曲で石原裕次郎さんが歌ったらしい。

札幌にはその歌に関した歌謡碑と言うものがあるらしくて、その写真も見た。

一人の男性の札幌であった経験、そのことからくるイメージと言うか思いと言うかが歌われているんだと思う。

恋の町だから、そこの町に住んでいる人たちが皆恋ばかりしているということを歌ったうたではない。

それを歌う石原裕次郎さんが良くて、聞く人は、石原さんがつくる曲のイメージを追いかけて、追体験するというか、恋の町札幌、って思うんだと思う。

浜松も、『出世の街』っていうことで、家康くんのゆるキャラが活躍してたりするのだが、浜松市民全員が出世を目標に生きてたりしないだろうから、徳川家康に引っ掛けてのことだろう、ということになると思う。



前回のブログで、ARB の『東京シテイは風だらけ』という曲の歌詞の東京 ~ 恋と金の都というところがひとを惹きつける言葉としてうまく表現されているなあ、みたいなことを書いたが、これが高度経済成長としっかり結びついてたんだなあ、ってその後そのことを考えたりした。

もしかしたら、今でもTVをつけると恋愛ドラマが人気があって、流れているヒットソングも恋愛に関したうたばかりなのかもしれないが、TV を見ないので、ちっともそれはわからないし、今の時代の感じとして、そんなことはないんじゃない? って風に思っている。

バブル期っていうのがあって、その後、急速な右肩上がりの高度経済成長期というのはストップした。

そのことは間違いないでしょう?

で、その高度経済成長期の終わりとともに、世にはびこっていた恋愛至上主義的な空気も薄まっていったんじゃないか ? と私は感じている。

松任谷由実さん ~ 荒井由実さん、ユーミンに関して誰だったか忘れてしまって申し訳ないが、が書いたある文にユーミンのうたは、だったか人気は高度経済成長とともにあった、みたいなことがあって、ユーミン自身も確かNHKだったかのTV番組でそんなことを喋っていた気がする。

ユーミンがFMラジオで番組をやっていたことを多くの人が知っていると思う。

今もやっているんだろうか?

わからなくて申し訳ないが、私としては、ユーミンの荒井由実時代のファンだったりしても、そのラジオでは、リスナーからの恋愛相談に答える内容が多く感じられて、恋愛予備校みたいに思えて、なんだそりゃあ、みたいな気になってその番組から遠ざかっていた。

学校に行っても、早熟なのかなんなのかわからないが、やたら男慣れしてるように思える女の子がいたりして、TVをつけても、流行のうたも、そりゃあ、とにかく恋愛で、恋愛を制する者は、人生どころか社会を制するんじゃないか? とさえ思えたのだった。

恋はパワーがある。

それはわかった。

わかったが、恋愛の場合、練習などしてその道のスペシャリストになるというのは、銀座のクラブのママを目指すのと近いことなんじゃないか、と思えたし、恋愛上手というのは、例えば楽器の練習をしてうまくなるとか、毎日走り込んでスポーツ体力をつけるとかいうことと違うことで、もともとの素質によるものじゃないんだろうか ? という疑問が私にはあった。



そういえば、ここ何年も、世間の空気感として、恋や恋愛じゃないだろう、と私は思っていたので、自分で『恋』なんて言葉を引っ張り出してきておきながら、新鮮だなあ、恋の町ってアピールすると今受けるかも、なんて軽々しく思ってしまったのである。








2018年2月21日水曜日

街の魅力、人の魅力、ということで浜松の街のことを考えてみたりした

街の魅力、人の魅力
浜松の街に関して思うこと



なにしろここが恋と金の都

と日本のロックバンド ARB が『東京シテイは風だらけ』という曲で東京を歌っている。

詩はボーカルでもある石橋凌氏。

役者でも有名な方だと思う。



2/18浜松に行く用事があって、その帰りに、幾つかの店に入り、ブログに使おうと思って写真を撮ったりして、浜松の街のことを書こうと思った。

街の活性化だなんだって、人の賑わいが減った小都市駅前をどうにかしたい、ってイベントをやったり何だのしているのは浜松だけじゃないだろう。

しかし、人の賑わいが減ったのは、もっと小さな市や街の駅前だってそうだろうし、それと比べたら、小都市といえども、浜松はある方じゃないんだろうかという気もする。

それでも敗戦から高度経済成長期、モノ、新しいことに対する情報に惹かれて賑わいを見せていた頃の記憶で、なんとかしたい、としてあれこれ手を打っているんだと思う。

でもまあ、これは本当に私の勝手な思いだが、都市って、その『東京シテイは風だらけ』の歌詞に端的にうまく表されているように、恋と金じゃあないだろうか? ということがある。

浜松の場合、駅前周辺を街中と呼びはするものの、そのエリアは狭くて、デートなんてしてるとすぐ知り合いに見つかったりして、評判になったりもするからか、恋の街という感じがない。

これは、他の小都市部でも同じかもしれない。

また、いつも恋の街だったりすると、あの人は結婚して子供もいるのにまた恋か、なんてことにもなるかもしれない。

また、これも他の都市部もそうなんだろうと思うが、健康的で、住みやすい街を目指しているし、情報はあふれているし、やり方もわかっている感じで、差異がないというか、うちの街にしかないものを、って考えることも同じだし、地方色を出していこうとかって考えるところも同じだしで、またしても、どこに行っても同じだなあ感を感じたりもすることになっている気がする。

そこで違うのは、やはり大都市だったり、古くから自分たちの住んでいるところについて考え、行ってきたところだと思う。

文化がない、って言って何処かから引っ張ってきたようなものをペタって貼り付けても文化になんてなりゃあしないと思う。


今回こんなことを書こうとして、うまくまとめられなくて、またこういったことを書いていこうかなあ、と思うことになった。

いろいろなことを街について思うのだが、人を惹きつける街の魅力ってあって欲しいものだし、『恋』とは言わなくても、人を惹きつける人の魅力もそこでは大切だろう、って思っている。


ARB ってバンドの古い曲に思い当たり、歌詞を引用させてもらったが、このブログを書きながら、そういえば、その曲に夢中になってた頃、ARB を浜松に西武デパートがあった頃そこの踊り場みたいなところに見にいったことを思い出した。

その頃からすでに、浜松は、恋と金の都じゃないら、って遠州弁で思っていた。



Nikon coolpix s32
遠鉄のイベントスペース・ソラモからJR浜松駅を見て





2018年2月20日火曜日

楽しく Twitter を使う私のこころがけ

2/18 通り道で撮った写真。
Nikon coolpix s32
Twitter はいい情報ソースになっている。
私の場合のTwiitter 

前回 Twitter のことを書いて、書き足りなくて、まだ書こうと思う。

Twitter をはじめたのは 2014年の夏からで、すでに、『なう』なんて語尾につける言葉も下火になっていた感があった頃だった。

それでも『なう』って言ってみたかった私は、Twitter を始めよっと、ということになった。

その前に、Google+をはじめていて、SNS って続けていくのに無理がないんだろうか? とか思っていた。

すでに Face Book も登場していたが、やる気はなかった。

今もやっていない。

LINE もやっていない。

なにかの拍子でアカウントをつくってしまうことがこの先あるかもしれないが、そういうのを追うだけで、大変そうだと思っている。

Twitter がいい情報ソースになるだろうことは予感できていた。

しかし、これがそんなにおもしろいんだろうか? という疑問とともに、約2年が過ぎていった。

ここに自分の情報を流すと、それが拡散され、広まって、と思うことがないでもなかったが、それほどの告知効果は感じられなかった。

フォロワーは、多いほうがいいだろう、と思っていたので、ちょこちょこと増やしていった。

海外の人も多くて、適当にフォローして、フォローバックしてくれもするのだが、多くの人が メッセージをくれて、オレのこの動画を見てくれ、FACE BOOK 登録してくれ、オレがお前のプロモーション動画を作るから、とかアピールも多くきた。

たいていが、そんな方たちの意にそぐえないことになる。

それでもそういうことをマメに伝えてくるのも手間がかかるだろう、と思って、インフォメーションありがとう、いい1日を! なんて調子で、もちろん英語で返信していた。

日本人も、このことについてどう思う? とか軽い調子で聞いてきたりする人がいたりする。

Twitter の自己紹介文を見ると、かなり大した人(起業家みたいだったり、夢に向かって付く進んでて〜みたいな)なのだが、こちらに聞くだけ聞いて、なぜそういうことを聞くのかとか、わけがわからない人も何人かいた。

そんな感じで続けてはいたが、Twitter に流れる画面が、エロエロだったり、アフィサイトばかりだったりで、目をそらしたくなるようなことになっていたりもして、Twitter って、フォロワーが増えればいいってもんじゃないなあ、と考えるようになった。

Google+も続けているが、そっちでも女性の写真ばかりの人や、ヌードばかりポストしている人が未だに私のフォロワーにはいる。

考えてみると、Google+のほうは、流れてくる画面の幅が広くて( PC で見ています)、そういうのが流れてきても、見たくなければ見ないで済む画面構成になっている。

最近、Google+の方も、そういうポストばかりしてくる人をなんとかしようか、と考えているが、Twitter は、そういう人たちをフォローから外していき、見られる画面になるようにしていった。

知っている人で、Twitter をやっているのだが、フォロワーというか小さいサークルみたいにして、その中でだけ Twitter を楽しんでいる人もいる。

そんなに小さくなくていいが、こんな画面になるなら、フォロワーもフォローする人も、もっと少なくていいだろう、という考えで調整していった。

そのためか、昨年の秋頃から、Twitter 画面に目を遣ることが楽しくなった。

自分のやっていることの告知、情報発信のため、とそんなことだけ頭にあると、Twitter は楽しくない。

見るのが楽しい流れにしたいよね。

せっかく自分とつながってくれた人だから、という気持ちもできる。

以前、3度ほど、乗っ取られそうになったこともある。

その危険を察知して、Twitter からパスワードの変更の要請メールが来た。

それが本当に乗っ取りだったかどうかわからないが、見るからにこわーっという感じのアイコン写真で、いい感じを受けないツイート画面で、メッセージで、何か脅してくるような感じの言葉が英語ではいっていたので、フォローを外し、ブロックしたのだが、多分その人が乗っ取り犯じゃないかと思った。ブロックしたあとのことだったし。

そういうこともあって続けていると、Twitter 現在の画面の流れのありがたみも感じる。

世界的な有名人から知り合い、全国ニュースから、ローカルニュース、おもしろいトピック、広告も含めて、あれやこれやが私の好みの画像や動画を交えて流れてくる。

Twitter を流行りもので捉えてしまうともうおもしろくなんかないかもしれないが、使いようによっては、いいものにできると思う。

まだ書き足りないくらいだが、Twitter に関して吐き出すことができて、気が晴れた(笑)。

*このブログは、公開したら、必ず Twitter で知らせています。

2018年2月19日月曜日

動物好きな私はTwitter フォロワーが近頃結構増えた

猫さん大好き、ワンちゃん大好き、で Twitter のフォロワーが結構増えた
Twitter やってますか?


数週間前くらいだが、Twitter の投稿で、『猫の写真下手くそ選手権』というものがあることを知った。

どうすればこんな写真が撮れるのか?

中には神がかって思える写真もあって、とにかく笑える。

こういうことを企画した人もすごいと思うのだが、この企画に関して、誰がはじめたことだとか、そういうことはまだ調べていない。

その写真の面白さに、ただただ、笑い転げるだけだった。

しかしこれは、もっと多くの人に見てもらうべきだよな、と思って、沢山ある写真から私好みの下手くそ写真をリツートした。

その頃からである。Twitter フォロワーがやたら増え始めたのは。

私の Twitter のフォロワー数というのは、ある時増えて、その後減り、その後長いことそれほどの変動がなかったのだが、下手くそ猫写真のリツイート後、かなり増えてきた。

今調べてみたら、30日間で447人フォロワーが増えたことがわかった。

これくらいの数は大したことはない、と思われるかもしれないが、私にしたら、結構な数字だ。

それと、私は、昨年秋くらいから、よくリツイートや、ハートをクリックとかするようになっていた。

そのこともフォロワーが増えた要因かもしれない。

いろいろな投稿があるように思われるのかもしれない。

また、付け加えておくと、かなりの数増えたフォロワーのほとんどが、海外の人。

どうなっているのかわからないが、ある人をフォローしたりすると、その仲間や知り合いも同じようにフォローしてくる国民性を持った国があるとも聞く。

Youtube で、『Twitter フォロワー数の増やし方』と検索すると、どこかの国の人をフォローすると、あっという間にフォロワー数が増えるというのを見たことがある。その国は、アジア系の国だったと記憶している。そういうことでフォロワー数がやたら増えるのも困るだろう、と思ってそれほど興味がなかったのだが、今の私のフォロワー数の増え方はその傾向にあると思う。

犬、猫、景色、宇宙、ファッション、愛、とかそんな大きなくくりで Twitter をやっている海外の人がフォローしてきている。

それに応えると、また増えていくという感じである。

中には、猫、犬などをちらつかせつつも、バリバリのアフリエイト・ツイートばかりというのもあるので、どんな内容のツイートをする人なのか、確かめて、こちらもフォローすることにしている。

Twitter や SNS のことをまたこのブログに書こうと思う。



最近描いて、Youtube 動画で使った猫の絵





2018年2月18日日曜日

村上春樹さんは、海外ではカリスマ作家かも?

英熟語と村上春樹訳のグレート・ギャッツビー、2冊の本
BOOK OFF で購入

BOOK OFF の新書サイズのコーナーで2冊の本を買った。

ファミリーマートのオープンがあって、100円引きでビールを2本買った。

なんだか100円儲かった気になって、BOOK OFF に入った。

何日か前にBOOK OFF に来て、ポイントカードを持っていなくて、また来るか、と思って、行ったのである。

いつからだろう? BOOK OFF は100円の本が少なくなった。

200円+税の本が多くなった。

そこの新書サイズのコーナーは100円で、いいじゃないか、とか思っていて行ったのだった。

また大学入試なんてしないのだが、英熟語の本と村上春樹訳のグレート・ギャッツビーを購入することにした。

どうしてこの2冊なのかなあ?

と自分でもレジに行く前に考えた。

英熟語と文学作品は時が過ぎても自分にとっての価値はそんなに変わらないからさ、なんて思った。

からさ、なんて言う言い方になったのは、村上春樹訳文を意識した。

近頃、続けている Twitter で外国人のフォロワーがどっと増えた。

それまで、フォロワーが増えもしない感じだったのだが、犬とか猫とかの画像などのリツイートを良くするようになったせいか、そんな関係のフォロワーが増えたみたいだし、そこにまた、私の趣味みたいなものに合わせてか、音楽や美術系のフォロワーが乗っかってきている。

そんなひとたちの挙げた画像の一枚に、村上春樹さんの写真があった。

そんな威厳に満ちてかっこいい村上春樹さんの写真を見たのははじめてだった。

自分の頭のなかの村上春樹さんは、あえてフツーっぽい人である。

作家だから、オレはすげーんだぞ、みたいなポーズの人ではない。

すごく見えないよう気をつけている作家さんだというイメージである。

でもまあ、その写真を挙げた人の国では、そんなイメージなんだろう。

カリスマだった。


グレート・ギャッツビーは、他の人の訳でずいぶん前に読んだ。文庫本で持ってもいる。
せっかくなので、村上春樹訳で読むのもいいなあ、って思って買った。


英熟語の本は、中に赤い下敷きが入っていて、赤い文字で重要語句が書かれていたりするのだが、その重要語句をいいあてるように、その下敷きで覆うと、その語句が消える仕組みになっている。

英語は、SNS でも使えるので、慣れていたい、ってよく思っている。




こんな赤い下敷きがついている。
下敷きのしたの赤い文字が消えて見える仕組み。





2018年2月16日金曜日

去年買ったフライングタイガー『ランドスケープ』にやっと手をつけた


FLYING TIGER " landscape " making 
去年の買い物にやっと手を付ける

2/16夜に公開した わたしの Youtube 動画は、去年の夏、名古屋・栄に行ったときに Flying Tiger で買った『ランドスケープ』をつくってみたものになった。

約半年の間、ほったらかしになっていた。

こういうとき、近頃『放置』という言い方をするようになってきていると思うが、『放置』って意識的にそうしてそういう状態にしている感じがあるが、この場合、できたらなんとかしたかった、というところだった。

こういうものをつくるのは、それなりの心構えがいる。開封して、ほいほいとつくってできる内容のものではないように思って、なかなか手をつけられなかった面がある。

わからない人が多いと思うので、説明しておくと、フライングタイガーと言うのは、北欧の雑貨品を扱っている店で、名古屋から東に、と進んで、浜松は飛び越えて、静岡まで行かないと店がないらしい。

あるネットでこの店を紹介している文で、北欧の雑貨品、300円ショップ、って感じみたいな書き方がされていた。

値段はいろいろで、どちらかと言えば、上に高くなっているほうに多いが、高くても数千円もしないものがおおいんじゃないかと思う。

フライングタイガーと契約しているアーティストによるデザインだったりするんだろうけれど、遊び心に富んだものが多い。

それは多分、100円ショップで感じる物足りなさの裏返しで、いいなあ、っておもってしまうんじゃないだろうか? って自分では思う。

100円ショップは実用性、安さ、で買い物をすることになりがちである。

フライングタイガーはその遊び心、デザイン性に惹かれて好きになった。

名古屋に行くことがあれば、よく寄る。

しかしまあ、この店が100円ショップのようにそこらじゅうにあると、なんだ、あいつも同じもの持ってんじゃん、なんだかなあ、という感じになって、じゃあオレはどこかのなんとかフェスとかで店出してたりする露天の店で雑貨品を買うことにする、とか考えて歯を食いしばったりすることになるかもしれない。

北欧ではどうなんだろう?

想像でしかないが、結構多くこの店があったりして、日本で言えば小学生から中学生あたりに人気があって、高校生くらいになると、この店の品を見ると、オレは卒業したぜ、フフン、なんて思うのかもしれない。

いままだ珍しい、イイね! と感じるわたしは、フライングタイガーで買ってあった『ランドスケープ』をつくったのだった。

どういうものかというと、見開きの厚手の紙にビーチがデザインされていて、そこに、素材として付いていた、海水浴してる人や人魚や魚や虫やクルマやビーチパラソルやらなんやらを貼り付けて、好きにビーチの風景をつくる、というものである。

対象年齢は3歳以上になっていた。

ストーリーを勝手につくったりして、入り込んじゃいそうなものである。

素材は、シールになっているが、何度か剥がしてまた貼れる。

おもしろかった。

そうそう、動画ネタにしようとして買ってきて、まだ使わないでいるものがいくつかある。

毎日 Youtube 動画をなんとかつくっている感じだが、ネタには困っていない。

撮ったり、編集したりの時間が困るのである。




landscape素材(貼る前)





2018年2月15日木曜日

GYAO で『帰ってきた Mr. ダマー バカMAX』が観られて、感動した!

映画『帰ってきた Mr. ダマー バカMAX 』は前作と変わらずすごかった
GYAO で

GYAO で無料で映画が見られる。

無料なのでだと思うが、広告が付いているし、早く見ないと見られなくなっていることがある。

さすが無料のなせる技なのだが、これは、という映画は頑張って観たり、夢中になって観たりしてしまう。

『帰ってきた Mr.ダマー バカ MAX』を見た。

他のことが手に付かない勢いというか、早く観終えたい、という一心で観終えてしまった。

前作から20年後の作品らしいが、その前作で、この映画はすごいなあ、と感心した。

バカ映画、お笑い映画と言え、これだけその手の人物を細かく作り上げていることに感心したのだった。

知り合いに、この手の人達がいたとしても、なかなかこれだけ物はつくれないんじゃないかと思う。

前作がどれだけヒットしたか知らないが、当たったはずなのに、パート2みたいな作品が作られたかどうか分からずじまいだった。

その理由の一つに、これだけのものはなかなかつくれなかったからではないだろうか?
 とわたしは思っていた。

そして、再び GYAO で出会ったのである。

配信終了がいつなのかわからないが、時間が取れれば、もう一度観ておきたい、って考えている。




写真は映画と関係なく、先日ぃ遠州の空っ風を撮りにいったときのもの
Canon Power Shot SX170IS