Twitter のフォロワーが増えて、アートの目が肥える。
最近 2000人ほどフォロワーが増えた。
最近 2000人ほどフォロワーが増えた。
Twitter のフォロワー数の増加についてこのブログで書いた。
ここ数日、その数4000数十名ほどで、落ち着いた感じがある。
もとはと言えば、Twitter の『猫の写真下手くそ選手権』のリツイートから大量フォロワー増加は始まった。
大まかで、その経緯になったのはなぜなのかわからないが、まず、トルコ方面のフォロワーが1000人ほど増えて、そこからフォロワー増加の流れは中近東方面に移って、間にフランスやイギリスなどのアート系の方なども巻き込んで、4000を超えた数になった。
ここ数日、その数4000数十名ほどで、落ち着いた感じがある。
もとはと言えば、Twitter の『猫の写真下手くそ選手権』のリツイートから大量フォロワー増加は始まった。
大まかで、その経緯になったのはなぜなのかわからないが、まず、トルコ方面のフォロワーが1000人ほど増えて、そこからフォロワー増加の流れは中近東方面に移って、間にフランスやイギリスなどのアート系の方なども巻き込んで、4000を超えた数になった。
これをこのブログを見てくださっている方に勧めたいとは思わない。
何の脈絡もなく繋がった人の数が増えただけのような気がするし、中近東のフォロワーが物凄い勢いで増加していたときは、アッラーの神の怒りに触れないようにしないと、とか祈ってしまった。
神がどうのとか、絶対にツイートしない決意をしたくらいだった。
なんでつながってしまったのかわからないのだが、せっかくなので、という感じで、時間があれば、Twitter の流れになるべく目を通すようにしている。
アラビアの言葉も翻訳をクリックすると日本語に変わる。
たいてい神絡みでつぶやいているようだ。
DM で、アラビア語で何か言ってくるひとも何名かいた。
これを無視してしまうと、アッラーの神は許さないだろうから、英語で、コメントありがとうとか、ハバナイスデイ、とか返していた。
アラビア語の文字からして頭が痛かったのだが、数日も経つと、慣れる。
ところどころ翻訳してみると、神が出てくるのは相変わらずだが、多分、日本人と同じように、日常の中でのことなどつぶやいているみたいだし、ウケ狙いみたいなことをしている人もいるようだった。
小説家とか、写真家とか、旅行代理店の人とか、芸術作品愛好家なんだろうか? そんな人達がDM で、私の作品読んだことあるのか? とかモロッコの観光地の写真とか貴方が好きなのはこの写真じゃない? みたいな感じで送って来る。
ひとつ、思っているのは、誰ひとりとして日本語で聞いてきてくれない、ということ。
簡単な英語で返している。
前回のブログで、桜の写真に身が入らなかった、と書いたが、そんな人達がタイムラインに流してくる美術作品、写真のグレードの高さを目にし続けていると、当たり前に桜を撮ったくらいではダメだろう、と思えてくる。桜を撮る気が撮る前から散ってしまったのは、そういう写真を見続けたせいもある。桜だけに、散ってしまったのである。
一生懸命世界の名作やら現代写真家の作品を流し続けるひとがどういう人たちなのかわかりかねるが、おかげで、かなり見応えのあるタイムラインの流れが今回のフォロワー増加で出来上がってきている。
そこの所に、いいね♡ を押してあげたりしているものだから、さらにさらに、世界の美術愛好家やら美術家が私をフォローしてくれたりする、ということになってきている。
いい写真を撮らねばなるまい、みたいなことを思ったりするのだった。
今回このブログを見てくださった方にすすめたいことがあるとするなら、自分が見たいと思うものをツイートしてくれるひとがいたなら、いいね♡ をクリックしてあげると、そういうものが多くあなたのタイムラインに集まってくるようになりますよ、ということですね。
Twitter をどう使いたいかにもよるんだろうけれど、自分が見たいものが多く私のタイムラインに流れてきていて、見るのが楽しくなっている。
何の脈絡もなく繋がった人の数が増えただけのような気がするし、中近東のフォロワーが物凄い勢いで増加していたときは、アッラーの神の怒りに触れないようにしないと、とか祈ってしまった。
神がどうのとか、絶対にツイートしない決意をしたくらいだった。
なんでつながってしまったのかわからないのだが、せっかくなので、という感じで、時間があれば、Twitter の流れになるべく目を通すようにしている。
アラビアの言葉も翻訳をクリックすると日本語に変わる。
たいてい神絡みでつぶやいているようだ。
DM で、アラビア語で何か言ってくるひとも何名かいた。
これを無視してしまうと、アッラーの神は許さないだろうから、英語で、コメントありがとうとか、ハバナイスデイ、とか返していた。
アラビア語の文字からして頭が痛かったのだが、数日も経つと、慣れる。
ところどころ翻訳してみると、神が出てくるのは相変わらずだが、多分、日本人と同じように、日常の中でのことなどつぶやいているみたいだし、ウケ狙いみたいなことをしている人もいるようだった。
小説家とか、写真家とか、旅行代理店の人とか、芸術作品愛好家なんだろうか? そんな人達がDM で、私の作品読んだことあるのか? とかモロッコの観光地の写真とか貴方が好きなのはこの写真じゃない? みたいな感じで送って来る。
ひとつ、思っているのは、誰ひとりとして日本語で聞いてきてくれない、ということ。
簡単な英語で返している。
前回のブログで、桜の写真に身が入らなかった、と書いたが、そんな人達がタイムラインに流してくる美術作品、写真のグレードの高さを目にし続けていると、当たり前に桜を撮ったくらいではダメだろう、と思えてくる。桜を撮る気が撮る前から散ってしまったのは、そういう写真を見続けたせいもある。桜だけに、散ってしまったのである。
一生懸命世界の名作やら現代写真家の作品を流し続けるひとがどういう人たちなのかわかりかねるが、おかげで、かなり見応えのあるタイムラインの流れが今回のフォロワー増加で出来上がってきている。
そこの所に、いいね♡ を押してあげたりしているものだから、さらにさらに、世界の美術愛好家やら美術家が私をフォローしてくれたりする、ということになってきている。
いい写真を撮らねばなるまい、みたいなことを思ったりするのだった。
今回このブログを見てくださった方にすすめたいことがあるとするなら、自分が見たいと思うものをツイートしてくれるひとがいたなら、いいね♡ をクリックしてあげると、そういうものが多くあなたのタイムラインに集まってくるようになりますよ、ということですね。
Twitter をどう使いたいかにもよるんだろうけれど、自分が見たいものが多く私のタイムラインに流れてきていて、見るのが楽しくなっている。
Twitter に関してまた書きたいな、と思っています。