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2020年7月5日日曜日

和平フレイズの保温・保冷ステンレスボトルを持って
























リサイクルショップで買った300円のステンレスボトル
和平フレイズ 保温・保冷ステンレスボトル


















飲み物 ~ 特に水なのだが、を持ち運ぶのにどのボトルがいいだろう?  と思うことはよくあって、以前はどのペットボトルがいいだろう? と考えて、いい形や、いいデザインがついたペットボトルを取っておいていたりとか、100円ショップの水入れを物色していくつも買ったりしていた。

これではきりがない、と考えてクリーンカンティーンの中華なコピー商品を買って、これでいこう、決めたつもりなのだが、時々足を運んでいるリサイクルショップのボトルなんかが置いてあるコーナーでもいくつか買って来ている。

本当に、もうこれでそういうものを買うのはこれでやめにしたいなあ、と思って買ったのがこのステンレスボトル。

和平フレイズの保温・保冷ステンレスボトル。

300円だった。

どこのメーカーのものなのかわからなかったが、底面に WAHEI FREIZ とあって調べてみたら、和平フレイズという新潟本社の日本のメーカーの製品だった。





















こういう出物はそうあるものじゃないだろう、という判断での購入だった。

過去に購入したボトルはすべて保温・保冷ができない物だった。

しかしこれは違う。

保温・保冷ができるもので新しいものを選ぶとなると、容量、デザイン、どれだけ長くその温度を保てるのか、など考えて、そこそこの値段になってしまうのではないか? という気がするが、これは、大きさといい、300円という値段といい、まさに、これでええでっしゃろ、という具合にリサイクルショップのそこにあったのである。

ラッキーな買い物ができたと思う。

ボトルの底を見ても、容量が記してなくてわからないのだが、1リットルもない。

500mlだろうか?

そして、ここも大切なのだが、温度を保つ性能は、それほどでもないんじゃないだろうか ?  と思った。

が、技術の進歩は目覚ましいし、昭和初期の頃を思えば高性能を超えるくらいのステンレスボトルじゃないか、と思うことにした。

で、実際に使ってみると、結構温度は長く保ってくれているようなので、これでいいよなあ、ということになった。

このサイズのボトルで、高性能でかなりの長い時間温度を保ってくれる物だとしても、500mlとかなら、使えばすぐになくなってしまうので、それほどの性能じゃなくていいんじゃないかと思う。

とにかくラッキーな買い物ができた。

難があるとすれば、若干カップとして使う部分と、ねじってとめる口の部分にガタツキがあることだけ。

これは、うまく締められないということでなく、カップの口のリングが、カップとうまくくっついてないということ。

それでもちゃんと閉まるので使っていけないことはなさそう。












これがその300円のステンレスボトル。
そんなに大きくない。
自転車のボトルゲージにも入る。
自転車に乗っていて落っことすと凹むだろうからやらないが。
リュックの中とかにいい感じで収まるサイズ。
小ぶりなサイズ感がいい。














カップ部を取るとこんな感じ。
本体上部のボタンを押して、水が出るようになったり止めたりできる。
















これで、アウトドアでも、温かいものや冷たいものが気軽に口にできる。

梅雨の合間に浜辺で自転車動画の撮影をしたときに撮った動画がこれです。

初夏の海を見ながら冷たいものを口にできるのはいいですね。

ご覧ください。


































2019年3月3日日曜日

最近よくうたう、ユーミンのうた


向こうの、波があるところで、黒い点になってたりするのがサーファーたちです。



声出ししていないと出なくなるから
最近うたうのは、ユーミン、ブランキー・ジェット・シティ、ルースターズとか




数週間ぶりでアコギを背負って、浜にうたいに行った。

寒い冬の日もうたいに行っていたのだが、ここのところ間が空いてしまった。

風がそこそこ強く吹き付けていても、暖かくして行けば、そこで歌えないことはないことがわかった。

人によっては、外で練習するにしても、広々としたところよりも地下道みたいなところでうたうことを好む人がいることを知っている。

音の反響で、自分の声がよく聞こえるからだろう。

浜辺で、風がピューピュー吹いていると、自分の声量がどんな感じで出ているかわからなくなってくる。

それでも、広々としたところで声を出している自分の身体を感じながらやっていると、それなりにつかめてくる。

まあ、どんな感じで声が出ているよくわからないにしても、一時間でも声を出していると、自分の声が出る方に向かいはじめて変わって来ていることがわかる。

とにかく、声は、出し続けていないと、でなくなってくる。

時間を取られるのだが、声が出るようになってくるのは快感である。








昨年暮れあたりから、ユーミンのうたをカヴァーすることをはじめた。

なにげなく口ずさんでみたら、歌えそうに感じたのだった。

ユーミン全曲制覇とかそんなことではなく、多分、荒井由実時代の曲を何曲か試して、歌えそうもないのはやめて、歌えそうな2.3曲をなにかのときに人前で歌えたりできたら、みたいな感じでいる。

さすがに、その頃のユーミンの曲というのは、よく知っている。

それで歌いやすいように感じるのだと思う。

で、実際歌ってみると、そんなにも難しくないような気がする。

演歌歌手の方やロックンローラーのような熱の入れ方、独特な歌技術を必要とする曲ではないと思う。

ユーミンの歌を、ユーミンはどうやってうたっているのか? が気になって、Youtube でいくつかチェックしてみたりもした。

ユーミンのうたというのは、ユーミン本人が歌う場合、ユーミンというキャラというか、それぞれの曲のユーミンとしてのうたい方があって、それもいくらか幅があるのだけれど、その幅の間で決めないと、スベる、って感じになるみたいで、ユーミンの動画を見ていると、そこに気をつけてるんだなあ、って勝手に思う。

自分がうたうのは、ユーミンではないの、自分なりに歌えればオーケイで、気楽かもしれない。


恋のスーパーパラシューター、

ヴェルヴェット・イースター、

紙ヒコーキ、

コバルトアワー、


を練習している。



17:00頃の空にいつも何本か飛行機雲がある。


この日の浜からは、多くのサーファーが海に入っているのがわかった。

もう、春なのである。

海水の温度は、今の気候の温度より遅れた気候の温度なので、スゲー寒いんだろうけれど、サーファーの頭の中は、春で、すでに夏をイメージして海に入っていたりするんじゃないだろうか?


日が暮れる時間も遅くなった。

これからは、どんどん日が長くなってくる。




別に、ライブ活動を頑張らないと、という切迫感は持っていないんだけれど、年末以来、ライブハウスにうたいに行ってもいない。


声が出るようになったらまた行ってみたい、って思ってます。




コバルトアワーの、

「あなたは昔湘南ボーイ〜』って辺りがすごく好きですね(笑)。







2019年1月5日土曜日

冬のはじまりの日 (その日たまたま人助けをした)







その日が今年の冬のはじまりの日だった
浜辺からの帰り道、おばあさんに出会った


その日が今年の冬のはじまりの日だった。

家の窓から見える空は青くて晴れていたのだが、風の音は冷たそうに家に届いていた。

それでも、こんな日だから、と浜辺にギター弾き語りの練習に行くことをあきらめていたら、この冬、たいした進歩もなく終わってしまうだろう。

ギターの弾き語りというスタイルを始めてみて思ったのは、声を出さない日が続くと、声は出なくなってしまう、ということで、そのことにかける時間が必要になるということ。寒いからと言って、練習しなくなると、声は出なくなってしまう。

その日まで、数日間、もう冬だというのに、結構暖かくて、それがニュースになるほどだったのに。



ギターを背負って、家から数キロ離れた海岸まで自転車で。


外は寒かった。








今日からやっと冬なのだな、と思うものの、出てしまうと腹が決まるというか、風が強かろうが気温が低かろうが、うたう、声を出してくるしかない、という気持ちになる。



いつもの浜辺、いつものところまで自転車を走らせると、いつものところの前あたりにサーファーらしい者の車が入りこんできていた。

そこが車道ならともかく、そこは、それほどの高さはないにしろ、堤防上の歩道という分類になってるんじゃないかと思う。

その道に車を駐めていい、車が通ってもいい道だということなら、奥まで入り込んで来て駐めたその車は、あとから来た車が止まっていたりしたら、出られなくなる。

それでも構わないのかなあ、この車は、と思いつつ、そんな車が止まっているから、ということでいつもの練習場所をあきらめることはないと思うので、その車の近く、いつものところでギターをソフトケースから出したりして、練習を始めた。

その車,ワゴン車なのだが、の車内には女性が乗っていた。

男の運転でここに車を止めて、その女性は、車内から、海にいる男をビデオカメラで撮影していた。

海と言っても、波は、風の波だし、それで頑張る波ではもちろんないし、下手だからこそ、そんな波を選んでしまうのだと思えるのだが、そんななかで、海に入っているボクちゃんはなんてかっこいいんだろう、みたいなところを撮ってくれ、ということで、女性にビデオを回させていたのかと思える。




すげー、勝手な連中である。

駐車場はこの海岸にちゃんと2箇所も用意されているのである。

おまえらみたいなバカは海に来るな、と思う。



その車の前を通るとき、もちろん『アナタガシテイルコトハココ二クルヒトタチノメイワクニナッテマース』という視線で車内でビデオを回す女性を見てあげた。





その場で弾き語りの練習をはじめてみてわかったのだが、そこが、その海岸の外れの場所になるとは言え、外れだからこそ、ひとがいないだろうとか考えて、そこまであえてやってくる人たちの場所になっている感じがする場所ではないだろうか?  ということ。



その海の外れみたいな場所なのだが、だからこそ、そこに人が溜まっている、ということ。

釣り人、あえてそこまで歩いてきて、ストレッチしたり、海を眺めたりしていくウオーキング愛好者たち、どこかから来たであろう原付きスクーター乗りとか、自転車でここまで来たみたいなひと、夕日の写真を撮るひと、高校の運動部らしきグループ、走っていくランナーとか。

もちろんそんなひとたちがこの海辺にいるなんてことは頭になくて、車一台分の幅しかない歩道の奥まで来て車を駐めたのだろう。

そこまでわかるものじゃないにしろ、そこまで車を入れてくるか?  ということが問題なんだけれど。



若干いらいらしながらその車の後ろの方で練習をしていた。

いつもだったらウオーキングの人が何人かあらわれる時間なのだが、突然冷え込んだ気候のせいか、やってこない。

あるいは、車がそんなところに駐まっているので、来ていても、危険を感じてそこまで来なかったのかもしれない。

海に入っている男を見ると、波打ち際に押し寄せてくる波の間でもがき続けているのだった。

波が立つその向こうで待つのがサーフィンだが、そこまで出ないし、乗れる波じゃなかった。

それは、サーフィンをしてるとは言えない光景だった。

そういう男がそんなところに車を止めているのである。




結構長い時間男は海に入っていた。




弾き語りの練習を続けた。








そのうち出てきた。


私を避けるようにして、車に入ると、着替えもしないで、すぐさま車を移動させて行った。






やれやれである。




そのあと、練習に集中した。



暗くなるまでそこでギターを弾いて、うたっていた。







もう帰ろう、と決めたら寒いし、早く帰るのみである。


自転車のライトをつけて走っていた。


海の堤防になっているようなところからバイパス道を横切って、小道というか、歩道が長く海の広がりと並行して続いている。

そこを通って国道に出るのだが、道を曲がって、その先の国道までもう少しのところで、変わった向きで止まっている自転車があった。

ひとが乗って、その人の意思で、小道を塞ぐ向きで止まっているのだった。


これはなに?


なにかが起こっているのかもしれなかったが、起こっていたとしても、わかりようがない。

フツーに、「すみません』と言ってみた。

乗っているひとはおばあさんらしかった。

それがなおさらわからない光景になっていた。

乗って、道を塞いで、松林を向こうに備えたコンクリートの壁を見据えて、自転車に乗っているのだった。

しかも、もう、空は夜に変わっている時間だった。

寒いし。

すみません、道を通りたいんで、とかなり近づいて言ってみた。

すると、自転車前輪のほうを曲げて、通ることができるスペースをつくってくれた。


なんだろう今日は?


と思いつつその先に出たのだが、出て、これはかなりおかしいことが起こってるなあ、と気がついて、自転車を止めて、おばあさんのところに行ってみた。

近寄ってみると、顔の右、頬骨のところから血を流していた。

何かあったことは確かだろうけれど、立っていられるので、そのことに関しては大丈夫みたいなので、どこから来たのか聞いてみることにした。

ええっ?

とか小さく言う言葉しか帰ってこないので、この辺に住んでるんですか? とかどこから来たんですか? など繰り返して声をかけてみた。

すると、小さな声で、そこから20キロ近く離れた地名を口から出した。

なぜそこから来たのかわからなかったので聞いてみると、買い物、ということだった。

よくわからない。

顔から血を流しているし、わからないが、このままにしておけないことが目の前にあることは確かだった。

嫌がっていたが、警察に電話してみることにした。

スマホを持っているのである。

スマホを持って、電話をかけるのは、これで2回目である。

一回目は、設定したパスワードを間違えて入力したりして、あれ? パスワードの設定間違えたかなあ?ということになって、そういえばメールって誰からも届いてないなあ?  などと考えて、ドコモに電話して、遠隔操作で設定など修正したときに。

2回目は100番か、と思いつつそうしてみた。

こんな場合でも100番でよかったみたいで、こちらとしてもよかった。

そんなことで100番されたら困る、と返されたらどうしようか ?  という気がした。



そこをそのままあとにしたら、そのおばあさんはずっとそのまま、コンクリート壁を向いて、一晩中でもそこに立っているだろう。

寒かった。

少し行くと、コンビニが国道沿いにあるが、コンビニにに行かず、そこでそのまま夜の中に居続ける感じだった。

キャンプやツーリングでこの寒い日に海辺に向かったのではどう見てもない。

怪我をしてるし、寒さで命も危なくなって来る感じである。

警察に保護してもらうのがいいに決まっていた。






警察がパトカーで到着した。



どこで事故にあったのか?

家はどこか?

など聞き始めた。



ひとりで転んだみたいだった。

一人暮らしだった。




去り際におばあさんは私に「ありがとうございました」と小さな声で言って、頭を下げた。





人の助けにならないで生きてきたひとなんだろうなあ、と思った。



それが、この冬の始まりの日にあったことだった。










この日のこのことを話す動画を作った。

こういうことは、ひとに話すことでもないように思っていたのだが、何かとアピールしていかないと、わたしがどんな人間なのかちっとも伝わっていかないのがweb 上のことで、それで Youtube 動画も見てもらえないのかなあ、と売名しなくては、と思ったのがまずあったのだが、そのことはまあいいか、と思い直した。

思い直したのだが、こういうことは、これから多くの人が出会うことになるかもしれないことだし、こんなとき、警察が力になってくれるだろう、と考えて、動画を作り、公開することにした。

ご興味よろしければご覧ください。










2018年8月7日火曜日

海岸線沿いに過ぎていく旅人と会う


梅雨が明けて、晴天がつづいていた7月の浜辺

海岸線沿いの旅人
浜辺にいると旅人に出会う



静岡県西部地方は浜の海岸線が長くつづいていく。

静岡県中部から先になると、川とか、漁港とか、埋立地とかで、浜辺が切れていくんじゃないかと思う。

その浜辺と言うか海岸線は、愛知県伊良湖岬からずっとつづいている。

このあたりだけのことを思うと、海沿いに、浜を通って日本列島を進んで行けるという思いが生まれても仕方ない、と思う。

気楽に、ずっと浜辺を通って進んでくことができるだろう、と。

浜辺でなくても、海に沿った道を行けば、日本列島を回ることができるということにもなると思う。

ひとが多く住む街があって、いろんな店も宿泊施設もあって旅に便利なのは、海岸線から少しでも入ったところだろう。

が、海岸線やら海沿いの道やら浜やらを進んでいく旅人がいる。

浜の堤防になってもいる、コンクリートの道とも言えそうなところの、そこの浜辺の一番端っこのところで、アコースティックギター弾き語りの練習をしていることがある。

日常的に、そのあたりまでウォーキングをしに来る人達もいるので、一番端まで行ってギターを鳴らすようになった。

そこにいても、なんでこんなところから現れるんだろう、という歩いているひとや、上半身裸、下半ズボンで浜辺を走っていくひとやら、ポケモンゴーをやってるのかなあ? なんてひとを見かける。

ほか、バイクやスクーターで、来れると思ったのかそこまで来てみて引き返すひともよくいる。

そんななかで、このひとは、旅人なんだろうなあ? と思う人も現れる。

自転車で、後ろの荷台にキャンプ道具らしきものをくくりつけて、その先は道が途切れて進めないことを確認すると、そそくさと向きを変えて去っていく。

そんなひとを、そこでギターを弾き始めてから何人か目にしている。

ママチャリに乗った、すごくおしゃれで高そうな服を着ているおじさんがいた。

きれいな格好なのだが、キャンプ道具らしきものを荷台にくくりつけていたので、浜でキャンプして進んでいくんだろうと思ったが、なぜそんなおしゃれな格好なのか、派手目な色使いのシャツと折り目がついたスラックスに高そうなウオーキングシューズみたいなのをはいていた。

そういうひとが、ギターを弾いている私の後ろを通って行く際も、その手の人達は、明るくて、『こんにちは、いやあ、いい天気ですね、ギターですか?」みたいな感じは出さない。

人目を避けて先を急ぐ、みたいな人たちである。

誰にも会いたくない、みたいな。



数週間前になるが、そこに行くのに、東から西に自転車で走っていく間に、あれ? あのひと自分と行先がおなじなのかなあ、と思える人を見かけた。

やっぱりそうで、いつもの場所に行こうとした堤防の上で、そのひととすれちがった。

ひと月前になるが、Youtube で『彼女と彼』という羽仁進監督の映画(1963)を観ていた。

その彼は、バタ屋をやっていて、いつも愛犬と一緒だった。

団地生活の彼女の暮らしなどとの対比が描かれていたのだが、その自転車のひとは、その彼に似ていた。

自転車のサドルは黄色いガムテープでぐるぐる巻きにされていて、荷台にくくりつけてあるキャンプ道具らしきものも、スタイリッシュには見えなかった。

髪は伸び放題だし、髭もそうで、旅人なんだろうけれど、なにか異質な空気感を放っていた。

気になったんだと思う。

自分でも知らないうちに声をかけていた。

「この道はここで切れちゃうんで、もう一度もと来た広い国道に出れば行けますよ。ずっと、海沿いに進んでいけますよ、自転車道があるところもあるし」

そのひとは、わかった、みたいにうなずいた。

「どちらからこられたんですか?」

「山形」

「へー。で、どちらまで行かれるんですか? 」

「沖縄」

「・・・・・」

「・・・・・」

「すごいですねえ、お気をつけて」

という会話をした。

沖縄は、西の方角である。

そのひとははじめ国道で見かけた時は、西に進んでいた。しかし、会話した時は、東に進んでいこうとしているみたいだった。

もう沖縄に行って、山形に帰ろうとしているところだったのか、これから沖縄にいこうとしているとろだったのか、わからなかった。



すごいひとと会っちゃったなあ、なんて思いながらその日は練習した。



このイラストは、Yahoo ! のブログに書いたその映画「彼女と彼」の感想のところに貼った、私のイラスト。
その自転車のひとは、こんな感じのひとだった。






2018年3月21日水曜日

静岡県湖西市白須賀の浜から渥美半島 ~ 伊良湖岬を想う

Nikon coolpix s32
ふんわりとるモード。

渥美半島 ~ 伊良湖岬への想い
海岸線は続いている



時々だが、湖西市白須賀の浜に自転車で出かけることがある。

いいサイクリングコースだから、ということがあるが、天気が良い日曜の午後など、海を目に、ぼーっとするのが心地いいからでもある。

その浜から、西に目をやると、渥美半島が見える。

私は名古屋の中京大学に行った。

その時のバイト先のカジュアルなレストランにはサーフィンの会の人たちが集まってきていて、その人達に誘われて、伊良湖にサーフィンをしに行く機会ができた。

まさか自分がサーフィンを始めるなんて、という感じだったが、サーフィンは海と仲良くなる方法の一つだったし、サーフィンを通じて、伊良湖や他の地域の海のことなど知るいい機会になった。

渥美半島がサーファーが集まる所になっているのは、いくつもサーフスポットがあるからだが、低気圧のうねりが渥美半島に影響してサーフィン可能な波が起こるのだが、そのうねりの入り方が、渥美半島で一様でなく、移動すれば、波にありつけるスポットが見つけやすかったりすることがあるからなのではないだろうか。

ロングビーチ、港など、優良な波が立つスポットがあることはもちろんだろうけれど。

なので、伊良湖岬先端から、静岡県方面まで、結構渥美半島の海は見てきていた。

そして、もう学生でなく、実家がある静岡県西部地方にもどってきていたのだが、そんなある日、白須賀あたりの海から海岸線に目をやっていて、渥美半島を見ていて思いついたのは、海岸線を歩いていけば、伊良湖岬先端まで行けるよなあ、ということだった。

そこで見ていたら、渥美半島先端までの距離は、大したことはないように思えた。

裸の大将山下清の本を図書館で見ていた。

一日の移動距離は長くて10 ~ 15キロ位だったみたいで、景色がいいところなどで長く、景色に目をやっていたらしい。

そんな旅がしてみたかった。

そう思いついた時わたしは確か、それまで勤めていた会社をやめてなにもしていないときだった。

2,3日で行って、帰って来られるだろう、と目論んで、大きめのザックに食料やら水やら入れ込んで、早朝から歩いて家を出た。

夏だった。

頭のなかではそれは、疲れてヘトヘトになることかもしれないが、楽しみややり遂げた感は大きそうに思えた。

だが。

浜砂を行くのは、アスファルトはもちろん、砂の地面を行くのとは違って、それらの倍の体力が必要な感じだった。砂に足を取られるのだった。重たいザックを背負っていたので、その重みも、砂に食い込むのだった。

夏は気楽な軽装でよかったのだが、日焼けで体力を消耗するだろうと考えて、長袖長ズボンだったのだが、夏の暑さは、浜砂の上で、容赦がなかった。

どこか日陰で休もうにも、入り込める日陰があるところまで行くのも、距離があった。

そして、こんなことは、やってみるまでわからなかったのだが、水場は、海岸線上になかった。

持っていったペットボトルの水がなくなってしまうと、渥美半島の、浜辺につづく山場というか崖と言うかを越えないといけないし、超えて、伊良湖街道に出たところで、コンビニもショッピングセンターもないのがそのあたりなのである。

夜の真っ暗さ加減とか好きなのが渥美半島だった。

先端が近づくに連れて、ここは島だなあ、なんて感じが強くなってくる。

それがいいのだが、徒歩でそれを感じ続けるのに、慣れていなかった。

水が貰えそうな地元の人のための公園が、伊良湖街道には、たまに、ぽつんとあるくらいで、その場所も知っていたが、あってほしいところにそれはないのだった。

歩く歩く。

やってみないとわからないことは、多い。

その人に本当に必要な情報も、その人がやってみないと得ることができないことは今でも多いと思う。その頃、パソコンは持ってなかったし、スマホは登場していなかった。SNSで呼びかけて、水を手に入れられるところを教えてもらうことなんてできなかった。

数年前、ある配信サイトで、大阪から東京まで旅をする女性の配信をちらちら見ていた。

自分が知っているところも通るし、と思ってみていたのだが、その女性は、途中徒歩からヒッチハイクで山場を越え、自転車を買って進み、最後は、リスナーが東京まで送ってくれるということになって、高速をクルマで行っていた。

ナビゲーターもついていて、道や、進んでいるあたりの店の情報を貰って進んでいっていた。

配信なので、コメント機能からも情報がもらえていたし、途中差し入れなんかもあったりした。

海岸線を自分を頼りに歩いていくのとは大違いなのだが、その時のことを今に置き換えて思うと、この旅を YouTube 動画にしたかったなあ、ということはある。その頃まだデジカメもパソコンも普及してなかったろうし、YouTube も生まれる前のことだったと思う。

これは大変だった。

そういえば、その頃、小学館の『Be-Pal 』というアウトドア系の雑誌で、リヤカーで日本一周してたり、東海自然歩道を犬と行く人の記事が載っていて、その方は今も活躍されていると思うが、そういうふうに自分がやったことを発信し、仕事にしてていける人はいいなあ、とも思っていた。

歩きはじめて最初の夜は、港を過ぎて、海沿いの自転車道が続くところのちょっとした広場のようなところで、海に広がる漁船の光を眺めたりして過ごした。

こんなところでひとりで夜を過ごすのは、いろんな想像が湧いてきて、いられるものでもない感じだったのだが、疲れていたので、頭もそれほど働かなくて、明日、どうしようか? ということをテーマにしていた。

いっそのこと、このまま海岸線に沿って延延と歩き続けて旅をして、どこかで、自分でも思っても見なかったようなところで、仕事を得て、住んで、腰を落ち着けちゃう、ということもありなのかもしれない、という選択肢も浮かんだ。旅の人というよりも、ホームレスっぽいんだけれど。



遠い海の上は漁船の様々な光が点在していて、そんな光景を目にすることもはじめてだったし、非現実的な体験をしていたこともあってか、そんなことを考えていた。



それでもやはり、帰らないとなあ。



大して睡眠は取れずに、明るくなれば、立ち上がり、歩き始めた。



先端までは行かなかったと記憶している。

自転車道を行き、息をついて、途中で引き返すことにした。

こういうことは、もっと準備や計画が必要だと思っていた。

やれるなら、またやってみよう、と考えた。



帰りも、海岸線を行った。


ひどく疲れていた。


帰り道の記憶は、あまりない。


日陰で休みたかったが、日陰を探すのもつらくなっていて、途中、浜に寝転がったりしながら、帰り道を進んだ。

帰りは、一日半以上かかったと思う。

夜になって、もう、ここで寝よう、と横になったところの近くに、クルマが入ってこられる道があって、少し離れたところで、クルマが行ったり来たりする音が長い時間続いていたことを覚えている。

缶詰やパンを持って出たのだが、食べ尽くしてしまい、ついでにこれも、という感じでザックに突っ込んできたレモンが残っていて、その夜は、そのレモンのお陰でなんとか生き伸びられた感じがするほど、ぐったりしていた。

ここでこのまま死んでしまうと、バカな者の例として新聞に載ったりするのかもしれないと考えたりしていた。

浜辺でシートをひいて横になる。

海水浴に来ているのではないので、砂浜が焼けているのは、困ったものでしかなかった。

あちい。

それは、夜になってもつづく。

砂をかいて、表面の砂をどけると、若干冷たい砂が出てくる。

冷たい砂の心地よさを感じて、いつの間にか寝てしまい、起きると、家まで帰る力が少し戻ってきていた。



家に帰ったのは、早朝だった。

丸2日、そんなことをしていた。

家に帰って眠ると、次の朝、両脚は、丸太ん棒みたいにひどく膨れ上がっていた。




Nikon coolpix s32
マンガ風にとるモード





白須賀の浜で、その時のことや、コンビニもパチンコ屋も少なく、夜は海に点在する漁船の光が現実感がなくて、遠いどこかの島を感じる景色の渥美半島や伊良湖岬のことを思うことがある。

渥美半島の内海の側にも何度か行った。

景色がいい。

いいのだが、観光客さえいないのでは? と思うほど、なんだか寂しくてそこがいい、とか思うところ。




また、行きたいなあ、って思って、波の音を聴きながら、渥美半島に目をやるのである。



Nikon coolpix s32
静岡県湖西市白須賀の浜から





2018年3月14日水曜日

この冬に撮った浜辺の写真から


冬の海辺
湖西市白須賀の浜辺で


もう春。

梅や桜が咲き、尽くしや筍も目を出し、小川ではオタマジャクシが現われようかとしているところかもしれない。

春なのだが、この冬に白須賀の浜に行ったときに撮った写真が SDカードの中にあったので、載せておくことにする。

時々ここの浜に行く。

堤防を兼ねた、東西に伸びる高台の道がつづいていて、そこで基本的にはぼーっとするのが好きである。

いつの間にか公園っぽくこの浜はつくり続けられていて、駐車場とそこにトイレができたあたりに人が多い。夏場はそのあたりでバーベキューをやっているグループも見かけられる。

釣りをするひと、サーファー、波打ち際で遊ぶ家族連れ、カップル、ウォーキングをするひと、ゴルフクラブを持ってスイングしたりするひと、犬の散歩、などなど、ほかの人との距離を取って、自由な感じでそこにいる人達を目にすることができる。

ひとはいても、一人でいられる感じがある。

カメラを持って、海沿いに、東は新居町、浜松、西は豊橋、と自転車で走ったりもする。

海は海なのだが、道が、景色を変えていく。







もう何年も前になるが、そんなことをしていて、浜名バイパス沿いの道で、地元の人に声をかけられたことがある。

ゴミ袋を持って、ひとり、ゴミを拾っているひとだった。

このあたりのひとにとって、ここで海を眺めたりするところだからね、なにかあるとみんなここに来て、海を見てたりするところだからね、

と言っていた。



このあたりも、浜松にしてもそうだが、遊ぶところがないね、というほかから来たひとがいる。

巨大歓楽街、みたいなところをそういうひとは頭に持っているのかもしれない。が、そういうところはない。

歴史的に見ても、そういうところを作る必要がなかったんじゃないかと思う。

東京と大阪の間にあり、ひとはここを通り過ぎていく歴史だったから。

しかし、海があり、浜名湖があり、天竜川なんかある。

地元の人たちは、そこで風に吹かれて、景色を目にして、こころをリセットしようと努めてきたんだと思う。




Fujifilm finepix JX600





2018年2月12日月曜日

遠州の空っ風の撮影と春がくること

春は来る
風が強い浜辺に

2/12の午後、Youtube 動画の撮影をしに浜辺に出かけた。

静岡県湖西市の浜。

家にいて、風が強いなあ、と思って、遠州の空っ風に関した動画を撮りに出かけた。

この動画の構想は、去年からあって、このあたりで風が強まるのは、今頃だろう、と思っていて、撮りに行かないと、とこころしていた。

外に出ると、風が吹いているのは当たり前みたいな感じがあって、強風なのか何なのかわからなくなりもしたが、おもしろい、どちらかと言えば、インタレステイングと言うより笑える動画ができた。

家の中で Youtube 動画をつくっていることが多いのだが、外はよかった。

大きな声が出せる。

童画内容に寄るが、説明は、映像でできたりする。

いろんな場面の動画を撮って入れ込むことができる。

機会を見つけて、外での動画撮影を増やしていきたい。


浜辺は、風が強かったが、天気は、雲があるものの、悪い感じはなかった。

風を除けば、春みたいな感じだった。

そりゃあ、気温も下がっていたのだが、こんな日に春は来てるね、なんて言う人もいるかもしれない。

毎年そんなことを言う人が現れる。

時期が来れば、春は、心配しないでも、つかもうとしなくても、来ちゃうものだと私は達観できるようになった。


そういえば、野良猫なのか、近所の猫なのかわからないが、夜家の近くで、鳴き声がしている。

ねこなで声。

春はとっくにその猫には来ているみたいだ。



canon PowerShot SX170 IS



2017年12月11日月曜日

お正月用ビデオ撮影の獅子舞の獅子。

お正月に
正月用ビデオ撮影

100円ショップで見つけて購入した獅子舞の獅子を持って浜辺でビデオ撮影してきた。

お正月に公開予定。

まずは写真でお知らせ。

Nikon coolpix s32

2017年9月20日水曜日

波の音に止められていた

台風18号の影響が残る海

波の音が心地よかった

9/18 午後、白須賀の海に出かけた。

台風18号の影響が残っていて、荒れた海はまだ広がっていた。

その波の音にずっとその場に止められていた感じで聴き入っていた。


Fujifilm finepix JX600



2017年1月28日土曜日

海岸沿いの小道で松を見上げて

海岸沿いの小道で

2015 9/23


iphoto の写真整理をしていて、この写真、いいじゃないかと思ったのでポストしておく。

2015年に、海岸沿いの舗道  ~  浜名バイパスのこちら側といった感じの道で撮ったもの。

見上げた松の木。

Fujifilm Finepix JX500

2016年12月27日火曜日

iphoto 写真整理

iphoto写真整理中

バカスカ捨ててます。

12月になって、愛用している iMac が起動しなくなって慌てた。

クリーンインストールしたりしたのだが、 原因は、データとか持ちすぎだったから、ということのように思える。

iphoto の写真をこのところ捨てまくっている。

写真は捨てる前の一枚。

Fujifilm Finepix JX500

2016年9月5日月曜日

久々、海に。

夕暮れ時に、海に出る場所で

海辺に行ってみた。

ここの所、海に行けてなかった。
この夏、海に行く機会がそんなに持てなかった。
海って、すごいって思っている。
その海はたくさん見なくちゃ。

Nikon coolpix S32



2016年8月25日木曜日

舞阪から浜名湖を。

浜名湖を。

舞阪から、浜名湖西岸を向いて。

舞阪のあたりは、観光地として、面白い。
浜名湖を幾つもの方向に、見ることができる。

Nikon Coolpix S32

2016年8月14日日曜日

舞阪から浜名湖

舞阪で

8/13,自転車ポタリング

お盆の夕暮れ時、弁天島 ~ 舞阪漁港・舞阪灯台辺りに行ってきました。

NIkon coolpix S32



2016年7月30日土曜日

浜名湖遊覧。



浜名湖湖上を行った。

7/29 浜名湖遊覧












浜松・鴨江アートセンターの企画で、浜名湖湖上を走るボートに乗り、遊覧してきました。










Nikon coolpix S32




















2016年7月19日火曜日

海の日に写真を撮りに浜辺に。

海の日に。

2016 7/17 静岡県湖西市白須賀の浜で。

海の日に、海で。

canon Power shot SX170 IS
バレーコートらしきものができていた。

2016年7月14日木曜日

静岡県湖西市白須賀の浜で写真。

白須賀の浜で。

静岡県湖西市白須賀
7/10, 静岡県湖西市白須賀の浜で。

ガラケーも持って、この日、写真を撮りに行った。

歩いて、立ち止まり、カメラを取り出す場所は、だいたいいつも同じところになる。
それでも、季節、時間、天気、カメラによって違いが現れるので、同じところでシャッターを切ることも意味がないことではない。


この写真はガラケーではない。
Nikon coolpix S32



2016年7月12日火曜日