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2018 [ Nobufumi Ohara / Web ]で制作

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2023年3月26日日曜日

内海利勝さんのラジオが終わる





キャロル時代の内海利勝氏を描きました。
こりゃあ、暴走大好き、生涯一暴走族って感じですよね。























暴走族じゃなくてミュージシャンだったのだ
『かわさきFM LOVE&PEACE 同じ空の下から』、3月で終了





















暴走族は職業じゃないに決まっているのだが、暴走族ということで、なにか仕事とつながったり、金になったりということはあるだろう、それが有名な暴走族のひとならなおさらだ。




ということを、つい最近まで、もとキャロルのリードギター、今もギタリスト、ミュージシャンとして活躍中の内海利勝さんに対して思っていたのだった。
















もう10年くらい前になるかも知れないが、その頃、夜浜松駅前あたりで、路上ライブをやっている人たちがいたので、そんな人たちを気にかけて、聞きに行ったりしていた。



その中のひとりで、歌っていたら、某有名音楽事務所にスカウトされたこともあると言うのだが、その彼の音楽的目的地はどこなのかよくわからないが、スカウトされるだけの面白さを感じられる青年がいた。



なんだそれは? というようなことをテーマに歌っていたりして、路上演奏をやるくらいだが、控えめな青年で、好感が持てたので、よく聞きに行っていた。











ある時、別の用事があって、夜遅い時間まで浜松駅あたりにいて、さあ、帰ろう、とした時にその青年と行きあった。



その青年が言うには、その店の給仕なんかを手伝ってくれたら、お客さんがいない時に、店の機材を使っていいから、ということで金は出ないが、ライブなんかができる店に行っていた帰りということだった。


そしてその夜、店で元キャロルのギタリスト内海利勝さんが演奏に来ていた、と言うのだった。


こんな場合、へー、すげー、どうだったの? とか聞くのだろうけれど、私はその頃キャロルの元ギタリストだといっても、その頃そのひとがどんな活動をしているかは、全く知らなくて、口にしなかったが、多分そのひとは暴走族上がりなことで、全国の元暴走族のひと相手に集まりを開いて、そりゃあ弾き語りなんかするのかも知れないが、暴走自慢にはなをさかせたりしてるんだろうなあ、と言うふうにピンときて、浜松も暴走族上がりのひとたちは多いだろうから、『暴走族上がりとかのひとでいっパイだった?』と聞きたかったが、聞いて、オラオラ系の人たちの話をきいてもなあ、ということになって、「ふーん、そうなんだ」と返して、その話はそこで終わった。


青年も控えめな男だったので、「ええ」くらいの相槌で話題は終了した。















その頃は、持っているひとはすでにパソコンを持っていたりした時代になっていたが、私は持っていなかった。


スマホも持ってなかった。


音楽嗜好は、洋楽ロックだった。


キャロルは時々という感じで聞きつづけていたが、曲を聞くだけで、メンバーがどうしただの、矢沢永吉さんのエピソードというのも、こちらから求めなくても、何かの機会に耳や目に入ってくるし、ということで、興味はなくて、内海さんがどうしてるかなど、全く頭になかった。


私の頭の中で内海利勝さんは、元暴走族で、今だに暴走族つながりでカスタムバイクショップやカー用品店、スナック、バー、などの援助を受けて活動されている方だった。


自分の場合、好きなアーティスト全般にわたってそうなのだが、作品さえ良ければ、作品が気に入れば、それでオーケー90%くらいという感じになっている。


あとの10%は、ドラッグやってるのでこういう曲作りになったんだろうか?  やホモなのか? そうかあ、そういう生まれでこういう育ちでこんな曲作るのかあ、みたいなことになる。


今だと、ユーチューブで、キャロルを聞いたあと、内海さんの動画がおすすめで出てきて、じゃあ見るか、ということになったりして、知識が肉付けされていくのだが、その頃は今の1/100も情報通じゃなかった。












超有名な『ファンキー・モンキー・べイビー』のイントロギターはすげーな、かっこいいな、と今でも思うが、自分の中では、そのギターを弾いた内海さんのことよりも、曲の良さの成分のひとつという感じで、内海さんの存在は、自分の中で、大きなものじゃなかった。



沢田研二さんの『危険なふたり』や『時の過ぎゆくままに』のイントロギターみたいな
位置づけで、これらのギターを弾いているのは井上堯之さんだったと思うが、井上さんは、テレビに時々出てくる方だったので、内海さんよりも知っていた、ということになる。



内海さんは、ギター雑誌にも出てこないので、キャロル以後、どうされているのか知らないまま数十年という感じだった。



『ファンキー・モンキー・ベイビー』ギターで弾いてみたかったので、ヤングギターやなんかのギター雑誌で取りあげちゃあくれないのかい、と思うことがあったが、やはり暴走族の曲ということで、ギター雑誌も取り上げないんだろうなあ、差別化なあ、などとと思っていた。



最近、矢沢さんデビュー50周年か何かの企画でギター・マガジンだったかな? でちょこっとそのギターのスコアが載ってたと思うが。














で、一年ほど前から、ユーチューブで、内海さんのラジオ放送収録時の内容が見られる動画を見つけて、それを見るようになっていた。




それでいろいろと内海さんの活動やら、周辺の人脈のことなど知っていくことになったのだが、ホント、ユーチューブを始めとするネット情報というのは、ひとの頭の中を変えたものだなあ、と思う。



内海さん、そうだったのか、と。



生涯一暴走族人生を送っていたのではなかったんだな、とよくわかる頭に変わっていったのである。









その内海さんのラジオが2023年、この3月で終了する。






残念な気もするが、やりたいこと、やるべきことがあってのことだと思う。





みなさん内海さんのラジオを聞きましょう、って言ったって、ろくな数見に来られていないブログなので、ここでそういうことを言ったって、仕方ないのだが、ユーチューブにアーカイブとして残ると思うので、この記事を見て、気になられた方は、ご覧になってみて下さい、と言って、この記事を締めたいと思います。




ユーチューブで、[内海利勝 ラジオ] 検索で出てくるでしょ。

















 



















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