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2018 [ Nobufumi Ohara / Web ]で制作

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2018年2月23日金曜日

強力だ、恋のドキドキと私が感じていた過ぎてしまった高度経済成長期下の恋愛至上主義に関して

強力な恋のドキドキと高度経済成長下の社会
恋の町、恋愛至上主義がはびこって感じられていた時代のこととか


前回このブログで、『恋の街』という言葉を使った。

頭のなかで、たしかそんなタイトルの歌があったなあ、ということに思い当たったのでググッてみた。

『恋の町札幌』、浜口庫之助さんの曲で石原裕次郎さんが歌ったらしい。

札幌にはその歌に関した歌謡碑と言うものがあるらしくて、その写真も見た。

一人の男性の札幌であった経験、そのことからくるイメージと言うか思いと言うかが歌われているんだと思う。

恋の町だから、そこの町に住んでいる人たちが皆恋ばかりしているということを歌ったうたではない。

それを歌う石原裕次郎さんが良くて、聞く人は、石原さんがつくる曲のイメージを追いかけて、追体験するというか、恋の町札幌、って思うんだと思う。

浜松も、『出世の街』っていうことで、家康くんのゆるキャラが活躍してたりするのだが、浜松市民全員が出世を目標に生きてたりしないだろうから、徳川家康に引っ掛けてのことだろう、ということになると思う。



前回のブログで、ARB の『東京シテイは風だらけ』という曲の歌詞の東京 ~ 恋と金の都というところがひとを惹きつける言葉としてうまく表現されているなあ、みたいなことを書いたが、これが高度経済成長としっかり結びついてたんだなあ、ってその後そのことを考えたりした。

もしかしたら、今でもTVをつけると恋愛ドラマが人気があって、流れているヒットソングも恋愛に関したうたばかりなのかもしれないが、TV を見ないので、ちっともそれはわからないし、今の時代の感じとして、そんなことはないんじゃない? って風に思っている。

バブル期っていうのがあって、その後、急速な右肩上がりの高度経済成長期というのはストップした。

そのことは間違いないでしょう?

で、その高度経済成長期の終わりとともに、世にはびこっていた恋愛至上主義的な空気も薄まっていったんじゃないか ? と私は感じている。

松任谷由実さん ~ 荒井由実さん、ユーミンに関して誰だったか忘れてしまって申し訳ないが、が書いたある文にユーミンのうたは、だったか人気は高度経済成長とともにあった、みたいなことがあって、ユーミン自身も確かNHKだったかのTV番組でそんなことを喋っていた気がする。

ユーミンがFMラジオで番組をやっていたことを多くの人が知っていると思う。

今もやっているんだろうか?

わからなくて申し訳ないが、私としては、ユーミンの荒井由実時代のファンだったりしても、そのラジオでは、リスナーからの恋愛相談に答える内容が多く感じられて、恋愛予備校みたいに思えて、なんだそりゃあ、みたいな気になってその番組から遠ざかっていた。

学校に行っても、早熟なのかなんなのかわからないが、やたら男慣れしてるように思える女の子がいたりして、TVをつけても、流行のうたも、そりゃあ、とにかく恋愛で、恋愛を制する者は、人生どころか社会を制するんじゃないか? とさえ思えたのだった。

恋はパワーがある。

それはわかった。

わかったが、恋愛の場合、練習などしてその道のスペシャリストになるというのは、銀座のクラブのママを目指すのと近いことなんじゃないか、と思えたし、恋愛上手というのは、例えば楽器の練習をしてうまくなるとか、毎日走り込んでスポーツ体力をつけるとかいうことと違うことで、もともとの素質によるものじゃないんだろうか ? という疑問が私にはあった。



そういえば、ここ何年も、世間の空気感として、恋や恋愛じゃないだろう、と私は思っていたので、自分で『恋』なんて言葉を引っ張り出してきておきながら、新鮮だなあ、恋の町ってアピールすると今受けるかも、なんて軽々しく思ってしまったのである。








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